船
水上、および水中を移動する乗り物
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船(ふね、舟、英: vesselあるいはboatあるいはship)は、人や物などをのせて水上を渡航(移動)する目的で作られた乗り物の総称[1]。船(船舶)は浮揚性・移動性・積載性の三要素をすべて満たす構造物をいう[2]。

基本的には海、湖、川などの水上を移動する乗り物を指しているが、広い意味では水中を移動する潜水艇や潜水艦も含まれる。動力は人力・帆・原動機などによって得る。
大和言葉の「ふね」「フネ」は広範囲のものを指しており、規模や用途の違いに応じて「船・舟・槽・艦」などの漢字が使い分けられている。船舶(せんぱく)あるいは船艇(せんてい)などとも呼ばれる(→日本語表現参照)。
宇宙船や飛行船などの水上以外を航行する比較的大型の乗り物も「ふね」「船」「シップ」などと呼ばれる。これらについては宇宙船、飛行船などの各記事を参照。また、舟に形状が似ているもの、例えば刺身を盛る浅めの容器[1]、湯舟/湯船、セメントを混ぜるための容器(プラ舟)なども、その形状から「舟」と呼ばれる[注 1]。これらについても各記事を参照。
船舶を指すための様々な表現
日本語表現
中国で舟と船は同じ意味で読みが違う字で、船は古い文献に見えないので、舟が古く、船が新しい[3]。漢代に著された『方言』によれば、関西(函谷関の西)で船、関東で舟あるいは航という方言差があった[3]。
- 舟 - 「舟」の漢字は木をくりぬいて作られた丸木舟の形状に由来する[4]。「舟」の字は、手でこぐような比較的小型のものに使うことが多い[1]。
- 艇 - 「艇」は小型のものをいう[4]。
- 船 - 「船」のセンの読みも木をくりぬく意味に通じるといわれている[4]。「船」は小型から大型のものまでもっとも広い範囲を指して使われる[4]。
- 舶 - 「舶」は大型のものをいい、「船舶」は小型から大型まで船全般を指す[4]。
- 艦 - 「艦」は大型のものをいう。日本海軍では艦(艦の字義は装甲船の意)と書いて「フネ」と呼んだ。
総称として「艦船」(かんせん)、「艦艇」(かんてい)、「船艇」(せんてい)、あるいは「舟艇」(しゅうてい)などの言い方をする場合もある。
英語表現
英語では日常的にはboatやshipが用いられ、「boat」(ボート)は比較的小型のものを指し、あえて言えば日本語の「舟」や「艇」に相当する。だが日本人が「結構 大きい」と感じるようなものまで 英語圏では「boat」と呼ばれていることがある。「ship」(シップ)はboatに比べて大型のものを指し、あえて言えば「船」や「艦」に相当する。boat / shipは感覚的な呼び分けがされているのであって、厳密な線引きがあるわけではない。「vessel」は(やや学術用語や行政用語的な表現であり) boatの中の大き目のものおよびshipを指し[5]、(ぴったりの日本語語彙は無いが)あえて言えば「船舶」や「船艇」に相当する。
従来、英語では民間船・軍艦共に代名詞はshe(女性扱い)であって、これに対し飛行機では民間機がshe、軍用機がhe(男性扱い)であるが、最近は、このような用法が少なくなって、他の一般名詞と同様にitを使用することがある。「ふね」を表す性についても、各言語によって異なり一様ではない。 なお、英文表記の航海日誌上では、she(女性扱い)で表記される。
歴史
世界
有史以前
船の起こりは、水辺に住む人々が木の枝を束ねて荷物をのせたり、人が乗ったりするようになったことに始まるといわれている[6]。やがて工夫や改良により丸太を組みあわせたいかだや、丸太をくりぬいた丸木舟が用いられるようになった[6]。スコットランドで150例、日本で200例などの先史時代の丸木舟の発見例があり[7]、その他獣皮を張った船体に防水を施したシーカヤックに類するものなども存在したと考えられている。
丸太が手に入らない地域では竹やアシが材料になり、動物の皮を縫い合わせて空気を入れていかだにした例もある。これらの方法は波に弱く大きな船の建造は困難であったが、紀元前4000年ぐらいには船の骨組みを作ってから板を張った組立船が造られるようになった[6]。
紀元前

古代エジプト時代のつぼに船の絵が描かれており、ナイル川で使われていたとみられているが、パピルスのいかだから発展した継ぎ剥ぎ構造と推定され、この時代の船は海洋での使用には適さなかったとされている。紀元前4,000年頃にはエジプト・ナイル川流域の他、チグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミアでも帆走船が使われていた形跡が残っている。
モンゴロイドがオールの付いたアウトリガーカヌーで帆走を始めて、東南アジアの島々に広がり始めたのは、紀元前3,000年頃であり、フィジーには紀元前1,500年頃に達したと考えられている[8]。モンゴロイドの拡散以前の紀元前4,000年頃にはオーストロネシアンとモンゴロイドの混血であるメラネシア人がソロモン、バヌアツ、フィジー、ニューカレドニアの各島々への拡散しており[9][要ページ番号]、日本では紀元前4,000年頃(縄文時代前期)の外洋での航海が可能な大型の丸木舟の出土例がある。
一般的に太平洋で風と潮流に頼って漂流することは不可能であり、社会を築くには男女構成の大きな集団、加えて種や動物、道具を抱えるなど十分な備えなしに植民することはできず、偶然の産物ではなかった。慎重に探検を行い、有望な島を発見できなかった場合には探検を中止して引き返すことを示していた。当時から太平洋の熱帯気候は太陽や星が遮られることは稀であり、嵐の季節は限られていたため、ポリネシアへ植民する人々にも天候は予想可能だったと考えられている[10]。
紀元前4,000年頃から紀元前1,000年頃にはエジプト人やタレス人が地中海に乗り出していた。紀元前1085年にエジプト王朝が崩壊するとその地位をフェニキア人に譲った。フェニキア人はアラビア海にも乗り出し、船による交易の範囲が広がっていった。ギリシャ人がフェニキア人のオールを動かして進む帆船で移動していたことから、「ガウロイ(たらい)」と呼び、そこから「ガレー」という言葉に派生した。フェニキア文明における発明で特に偉大と言われたのが二段櫂船だった。その設計は古代ギリシャ人によって、三段櫂船へと発展した[11]。
紀元後

ローマ時代には、1世紀頃にヒッパロスがインド洋の季節風を利用したアラビア半島からインド南岸までの航路を開いた後はローマ - インド間の海上交易が行われた。
8-10世紀にはヴァイキングと呼ばれたノルマン人たちが独特の丈夫な船を駆って西ヨーロッパの海を支配していた。海図や羅針盤を持たず、緯度線に沿って進むための日陰盤とロングシップと呼ばれる造船術を駆使した。イングランド人とアイルランド人の不和、814年にカール大帝(シャルルマーニュ)が死去して混乱している諸外国の弱みを利用することに成功した。オークニー諸島、シェトランド諸島への進出、ダブリンの造成、イングランドの征服、ノルマンディの植民地化だけなく、ヨーロッパ人初のアメリカ大陸発見、東ヨーロッパの川沿いへの定住など活動範囲は広大だった[12]。
一方、日本では、600年からの遣隋使船、618年からの遣唐使船も日本にとって発達した航海術を吸収する機会であったが、1401年からの勘合による日明貿易が開始され、これらの船(遣明船)には羅針盤が備わるなど確実な進歩を遂げていった。中国の鄭和の艦隊が15世紀、30年間に渡って中国沿岸からインド洋を席巻していた。中国の海洋進出が途絶えた後も、東南アジアからインド経由でヨーロッパに至る海のシルクロードが、商人と船乗りの手で長期に渡り維持された。
ヨーロッパでは、それまでのガレー船のラティーン・セイル(三角帆)に加えて、ヴァイキング船の横帆を取り入れた「キャラック船」を生み出した。15世紀初頭にはポルトガル人が、ラティーン・セイルと横帆を持つ小型の「キャラベル船」を生み出し、「エンリケ航海王子」の支援も受けて、外洋への航海に乗り出していった。長い航海に耐えられ、大砲も装備されたりするようになった。
16世紀にはキャラック船を元にガレオン船が登場し、大航海時代になった[9]。ガレー船は18世紀末まで地中海で、北欧のバルト海では19世紀初頭まで使用された。1807年にロバート・フルトンが作った外輪蒸汽船がニューヨークとオリバニー間で運航を開始した後は、多数の帆船に蒸気機関が搭載され、また、帆船も港での操船は蒸気エンジンを備えたタグボートに任せることができるようになったため、外洋航行に最適化した高速大型帆船が作られ、「クリッパー」と呼ばれる高速帆船も登場した。1858年に英国人アイザム・K・ブルーネルが発明したスクリュープロペラを備えた外洋定期客船「グレート・ブリテン」が作られた。英海軍が海上公開実験によってその性能を確認し、軍艦の標準としたため、各国海軍もそれに倣った。海底ケーブル網が充実した1860年代から、軍艦だけでなく商船でも、航行スケジュールが確実な蒸気船が帆船を駆逐するようになっていった。スエズ運河は開通してから当分の間、通行可能な船のサイズに制限があったり、運賃が高かったりして、商船がしばしば利用を敬遠した。
蒸気船の歴史については蒸気船#歴史を参照のこと。
この後、多数の蒸気船が登場して徐々に海運の主役となった。1892年のディーゼルエンジンの登場によって多くの大型船舶が内燃機関を備えるようになった。
帆船は今日でも練習船や競技用ヨットなどとして用いられているが、多くがエンジンを備えた汽船である。
日本
古代
日本の先史時代の丸木舟の発見例はおおよそ200例ほどである。その中には1989年に東京都北区上中里の中里遺跡で発見された全長5.79mの丸木舟や、1995年に千葉県香取郡多古町で発見された全長7.45mの丸木舟など大型のものの出土例もある。また1998年に京都府舞鶴市の浦入遺跡で出土した丸木舟は、現存長は4.4mであるが、幅85cm、長さ8m以上あったと推測され、一本の巨木を刳り抜いた堅牢なモノコック構造の刳舟であり、縄文時代前期には外洋での航海が可能な丸木舟が存在した。
縄文時代以後も日本船はモノコック構造の刳舟が主流であった。古墳時代以後の大型の刳舟の出土例は大阪湾周辺に多く、単材刳舟ばかりではなく複材化した準構造船と呼べるものも出土している。単材刳舟としては大阪市西淀川区大仁町鷺洲で古墳時代のものと推定される全長11.7mの刳舟が出土しており、複材刳舟のうち前後継ぎのもの出土例として、大阪市今福鯰江川の三郷橋(現・城東区今福西1丁目)で大正6年(1931年)5月に全長13.46m、全幅1.89mの刳舟が、同市浪速区難波中3丁目の鼬川で明治11年(1878年)に残存長12mほどの刳舟がある。他に天保9年(1838年)愛知県海部郡佐織町(現・愛西市)で出土した前後継ぎの刳舟は残存していた長さが十一間二尺 (20.6m) あったといわれている。
飛鳥 - 室町時代
飛鳥時代には平底のジャンク船のような箱型構造の船が遣隋使船として用いられた。
室町時代の後期から江戸時代初期にかけて安宅船などが、軍船として用いられた。 江戸時代初期の1604年から1635年の間は朱印船貿易が行われ、そのための船として中国などの海外だけでなく日本国内においても600人乗り、貨物積高2,500石(約375トン)のものが建造されていた。
江戸時代(幕末まで)
鎖国以前には徳川家康の命によってウィリアム・アダムス(三浦按針)が建造した2隻の小型ガレオン[注 2]や、慶長遣欧使節団のサン・ファン・バウティスタ号などの例があるが、1635年には「大船建造禁止令」が施行され、船の500石積以上の建造が禁止されることになる。ただし、これはすぐに商船は対象外になる。鎖国を行ったために、外航船を建造する必要が無くなった日本では軍船は関船が、商船は帆走専用に改良された弁才船が中心となった。特に後者は江戸時代の近海海運を大いに発展させた。
近代(幕末以後)
ペリー来航から3か月後の1853年9月に、大船建造禁止令が大名に対して解除された。同時に幕府の手で浦賀造船所の建設が開始され、翌年には最初の西洋式軍艦の木造帆船「鳳凰丸」を竣工した。水戸藩も1853年に江戸隅田川河口に石川島造船所の建設を始め、薩摩藩の桜島造船所や加賀藩の七尾造船所が次々と開設された。
1854年、ペリー来航の翌年に通商を求めて日本に来たロシアのディアナ号が下田で安政東海地震の津波により大破の後、嵐に遭い沈没、多くの船員が日本に取り残された(下田で座礁したという情報も複数あり)。当時、日本では外航に耐える船を持たず、これらのロシア船員は船を作らなければ帰れなかったため、君沢郡戸田村(現・沼津市)の日本人を指導して2本マストのスクーナー「ヘダ号」を作り上げた。その後、幕府は同型船多数の建造を命じ、君沢形と命名した。この西洋式造船を実地で指導されながら学んだ経験は、今日の日本造船業にとって近代船建造の礎となった。
1855年、幕府はオランダ人技師から大船建造と鋳砲製造の技術を習得することを目的に、「海軍伝習所」を長崎に開設した。幕府は1857年には長崎の飽の浦に溶鉄所の建設を開始し、1861年に長崎鎔鉄所(現三菱重工長崎造船所)として開所させた。1865年には横須賀・横浜製鉄所が着工され、その後、国内最大の横須賀海軍工廠となった。横須賀海軍工廠では、フランス人技師の指導を受けて木造船から鉄鋼船へ技術の切り替えが行われ、1890年に最初の全鋼鉄軍艦「八重山」(常備排水量1,609トン)が完成した。江戸湾に設けられた石川島造船所はその後の石川島播磨重工の、浦賀造船所は浦賀重工業を経て住友重機械工業の礎となった。
1861年、7月26日(旧暦)。これまで幕府により禁止されていた大型船の建造と外国商船の購入が民間に許可される[13]。
1865年、日本で初めての外輪蒸気船「凌風丸 (佐賀藩)」(10馬力)が佐賀藩により建造され、この年に進水する[14]。
1890年には三菱造船所で最初の全鋼鉄船「筑後川丸」(694総トン)が建造された。1896年には造船奨励法と航海奨励法[15]が公布され、1897年には船舶検査法[16]も施行された。この頃、多数の国内外新規航路が開設された。1898年には、それまでの平均的な国内造船能力であった1,500総トン級を大幅に上回る、「常陸丸」(6,172総トン級)が三菱造船所で完成された[注 3][17]。
1899年には、船舶法が制定され、日本船舶としての国籍要件、船籍港、船舶登録など、日本船舶としての国籍を証明し、船舶の個性を識別する事項を登録し、あるいは、船舶の所有関係を公示する船舶国籍証書等について規定がなされた[18]。
日本の船会社が運航する日本籍船の減少
日本の船会社が運航する日本籍船の船数は1972年から減少を続け、代わりに外国船籍の船を日本の船会社が借りて運航するようになっている。1978年に外国船籍の船数が日本船籍の数を越えて以後は、日本船籍が減り続け、2006年の統計データではついに95隻で、日本の船会社が運航する全2,223隻の4 %にまでなった。
このように、日本の船会社が日本船として登録を避ける原因は主に、高い税金(登録免許税、固定資産税)、最低2名の日本人乗員の乗組み規定、国際条約での規定を超える日本独自の高いレベルの設備・検査規定などがある[19]。
船名・船籍
各船舶は、古来、一艘一艘(一杯一杯)、それぞれ固有の名称(船名)を与えられ、その後、固有の国籍(船籍)を持たされるなど、擬人的な取り扱いがなされてきた。
各国の船舶関連の法規において、船首両舷および船尾に船名を表記するように定められている。IMOの規則では、IMOナンバーも併せて明記し、船籍港も明記し、各文字の高さは最低でも4インチなければならない[20]。
船名
英語圏の船名
英語圏では蒸気船では船名の前に steam ship の意味で艦船接頭辞「SS」をつけることがあり、21世紀の現在では SS は主機関が蒸気タービンであることを意味している。同様に、ディーゼルエンジン船では船名の前に motor ship の意味で「MS」をつけることがある。同様に「M.V. (motor vessel)」「S.V. (sailing vessel)」(帆船)が使われることもある。
また海軍艦艇の所属国を表す接頭辞も用いる国もあり、たとえば以下のものがある。
- HMS : Her/His Majesty's ship(女王陛下/国王陛下の船)の略で、イギリス海軍の艦名の冒頭に配置される。
- HMAS : His/Her Majesty's Australian Ship の略で、オーストラリア海軍の艦名の冒頭に配置。
- USS : United States ship の略で、アメリカ合衆国の艦船名の冒頭に配置。
また次のようなものもある。
日本船舶の船名
日本では船舶法施行細則第44条により、船首両舷の外部に船名を、船尾の外部に船名と船籍を表示することが定められている。
日本には船名の最後に「丸」を付ける慣行がある。旧船舶法取扱手続第1条では日本の従来からの慣行をふまえて日本の船には船名の末尾になるべく「丸」を付けるように勧告されていた[注 5]が、この船舶法取扱手続は2001年に廃止された。とはいえ、従来からの慣行により現在でも多くの日本船が「丸」を船名に付けているが、丸をつけない船も次第に増えてきている。フェリー船や外航船では「ジャパン・コスモス」「ペガサス」「あめりかん はいうえい」など「丸」を付けない船名もあり、丸をつけない船名が次第に増えてきている。また海上自衛隊や海上保安庁の艦船は丸をつけていない(例 : 所属は文部科学省だが運用は海上自衛隊が行っている南極観測船など)。
なぜ日本の船にだけ「丸」が付くようになったかという起源については、いくつかの説があるが、いずれも決定的なものは定まっていない。犬や刀など大切なものに「麿」と名付けていたものが船にも付けられるようになり「丸」に変化したとする説や問丸(問屋)が使用した船に使われるようになったからとする説などがある[21]。平安時代の書物には「坂東丸」と名付けられた船がみられる[21]。海外では日本の船を「Maru ship」と呼ぶことがあるが、日本でのマルシップとは「外国人船員が配乗されている日本船」を指す[22]。
日本では山や川などの地名を付けることが多く花の名前なども付けられるが、「ナッチャンRera」のような愛称を除けば、欧米のようなそのままの人名を付けることは少ない。「日石丸」「第七全購連丸」「第十とよた丸」「日産丸」のように日本の会社名をそのまま付ける例も多くなってきている。
船籍、旗国、船籍港
- 船籍 ship registration
- 船はそれぞれ国籍、すなわち船籍(en:ship registration)を持つ。特に公海の秩序維持は原則として各船舶の旗国の管轄権行使によって保たれるため、船籍はきわめて重要な意味を持っている[23]。
- 旗国 flag state
- 各船は旗国を持っており、たとえば、ある船Aがノルウェー船籍の船だとすると、ノルウェー国旗をかかげて航行することになり、この船Aにとってはノルウェーが旗国である。旗国は、船籍を根拠として、自国の船舶に対して管轄権の行使や外交的保護権の発動などを行う。公海における旗国による自国船舶の規律および規制は、公海の秩序維持の重要な制度であり、これを旗国主義という[24]。
- 船籍港 port of registry
- 「船籍港」は人間の本籍地に相当する[25]。各船の登録文書にそれが明記される。IMOは船尾にそれを表示する、との規則を定めている。各国の船舶関連法規でも同様に船尾に表示する、と定めている国も多い。日本船籍の船は、船舶法の定めによって、船籍港を定めて管轄の運輸局にトン数を申請し、船尾に船籍港を表示しなければならない。
- 便宜置籍船
- 船舶に課される税金は、リベリア(港名 : モンロビア)、パナマ(港名 : パナマ)、キプロス(港名 : リマソール(レメソス))が低率であり、これらの国では(実態は)外国の船の登録を誘致している(登録後はこれらの国にとっては名目上は自国の船になる)。このような船を「便宜置籍船」と呼ぶ。便宜置籍国には安全な航海のために規制を行う十分な法律が存在しないために、便宜置籍船は一般に乗組員の質が劣り事故の発生率も高いため、国際的な問題となっている。
- カボタージュ
- 「カボタージュ」と呼ばれる規制によって、国内港間の輸送を行う船は自国籍の船でなければならない、として、(便宜置籍船を含めて)外国籍船を排除し、国内の海運会社や国内の業界を保護している国がいくつもある。日本もそのような国々のひとつである。
船舶の要素
日本の国土交通省のウェブページ上の記述では、船(船舶)は浮揚性・移動性・積載性の三要素をそなえた構造物[2]、とのことである。
船体
船体が通常進む方向(進行方向)を見て、先端に当たる部分を「船首」(英語では「バウ」)という。反対に、進む方向を見て「後ろ」の端に当たる部分を「船尾」(英語:スターン)という。進行方向に向かって右側の側面を「右舷(うげん)」といい、左側の側面を「左舷(さげん)という。船体の上面の平らな面を「(上)甲板(かんぱん)」(英語:デッキ)という。
艤装
艤装(ぎそう、rig、rigging、outfitting(s))には2つの意味がある。
- 船を構成する物で、船体(などの構造物)以外の装備品全般を指す。航海に必須の装備や荷役や乗客のための装備が含まれる。船は水上を揺られながら航行するので、船の内外の装備や各種機器・道具類が船体やデッキに固定されている必要がある。これらを「艤装」や「艤装品」と呼び、船から始まったこの名は、他の乗り物でも固定された装備全般を艤装と呼ぶことがある。
- 造船で艤装品を船体に取り付ける工程は「艤装」と呼ばれ、「艤装する」という動詞としても使われる。
船舶の運航
船舶の運行とは商業的な計画と技術的な管理の2つの側面がある。
航海
資格
世界的にはプレジャーボートなどの操船に免許は不要である[26]。
船籍を日本以外にしておけば、日本の免許を取得する必要はなく[26]、また日本の小型船舶免許は、日本の領域から出たら効力はない[26]。また、大型船においては有資格者が見張りをしている状態で有資格者の指示を受けて操船する場合、無資格者でも操船することができる。かつては操舵長や操舵手は無資格者が多かったが、現代では自動化により多くの船員は必要とされず保険会社の規約も厳しいため国際航海では無資格者は訓練中や資格取得前の船員が中心である。かつては小型船舶においても同様のことが可能であったが、法改正により現在では原則として有資格者が自ら操舵をしなければならない。
次の要件を全て満たしていれば免許不要で船舶検査を受けなくても操船できる。
- 登録長が3m(約10フィート)未満であること
- 推進機関が1.5kW(2馬力)未満であること
- 直ちにスクリュープロペラの回転を停止することができる機構を有する船舶でまたは、その他のスクリュープロペラによる人の身体の傷害を防止する機構を有する船舶
操舵
大海原では舵はオートパイロットによって自動で保針されており、人は海上を監視することが求められる。船の多い海域や狭い海域ではクオーターマスター(操舵手)が舵を手動で操作する。
船内生活
- 時間
- 船同士の連絡では協定世界時 (UTC) を使うが、船内の時間は航海に合わせて変更されてゆく。このため、東へ向かうと1日の長さが短くなり、西へ向かうと長くなる。
- 当直
- 船員は24時間航海する船の中で、常に誰かが「当直」や「ワッチ」[注 6]と呼ばれる見張り当番についている。機関室内の主要な装置がブリッジから遠隔操作できるようになり、通信機も高性能になってモールスなどの特殊な技能を必要とせずに誰でもが音声通信を行えるようになったために、従来の機関当直や通信当直は減りつつあり、ブリッジから見張りを行うことが多くなってきた。
- 当直は毎日4時間x2回が3組の当番によって行われる。これは日本の船に限らず、国際的に共通である。
- 0:00-4:00 12:00-16:00 2等航海士と甲板手
- 4:00-8:00 16:00-20:00 1等航海士と甲板手
- 8:00-12:00 20:00-24:00 3等航海士と甲板手
- 機関室での当直の必要性を減らした、Mゼロ[注 7]船と呼ばれる船では、夜間に機関に異常事態が発生した場合には、自動的に各居室に警報が伝えられるようになっており、機関士の夜間当直が必要なくなっている[27]。
記録
- 航海日誌(ログブック)
- 「航海日誌」と呼ばれるログブックは通常「公用航海日誌」と「船用航海日誌」の2種類があり、「公用航海日誌」には海難事故や航海の概要などをその都度記載し、「船用航海日誌」には針路、速力、波、天候、船上での出来事、出港・寄港などについて毎日の記録が記入される。
- 日本においては「公用航海日誌」は通常は日本語で表記するが、「船用航海日誌」は日本国内のみを航行する船においては日本語でも英語でもどちらの表記でもかまわないが、国際航海に従事する船では英語表記が事実上義務化される。英語表記する際の文章は正規の英語表記ではなく、独特の文体と記号によって記入される。たとえば不明確にならない限り主語や冠詞は省かれ、星は*、太陽は◎で表現され、投錨はイカリの記号で表される[19]。
- 海図
- 海図(チャート)は航海において最も重要なものであり、規則でも常備が義務付けられている。通常108cm×67cmの大きさのチャートはメルカトル図法や心射図法などで描かれており、船に数百枚も保管されるそれぞれが、1枚が数千円という高価な物である。チャートに新しい情報を記載するのは2等航海士の仕事である[19]。
船舶と環境
排ガス規制
船舶については、陸上の自動車などのような排ガス規制が存在せず、野放し状態であり、大型船1隻で5000万台の自動車に相当する汚染物質を排出している記事もあった。[28]しかし、最近規制が強化されており、2007年にはそれまで船舶から排出される油、有害液体物質、有害物質、船舶からの汚水及び廃棄物の5項目に関して海洋汚染防止のための規定をしていた海洋汚染防止条約(MALPOL73/78)に船舶からの大気汚染防止に関する附属書を追加するための議定書が採択され[29]、排ガス規制が導入された。この規制は順次強化されており例えばSOxについては、燃料油中の硫黄分濃度が、2020年1月以降、現行の3.50%以下から0.50%以下に強化される[30]。