権田修一

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愛称 ゴンちゃん[1][2][3]
カタカナ ゴンダ シュウイチ
ラテン文字 GONDA Shuichi
国籍 日本の旗 日本
権田 修一
名前
愛称 ゴンちゃん[1][2][3]
カタカナ ゴンダ シュウイチ
ラテン文字 GONDA Shuichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-03-03) 1989年3月3日(37歳)
出身地 東京都世田谷区神奈川県川崎市生まれ)
身長 187cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ヴィッセル神戸
ポジション GK
背番号 71
利き足 右足[1]
ユース
1995-2000 日本の旗 さぎぬまSC
2001-2003 日本の旗 FC東京U-15
2004-2006 日本の旗 FC東京U-18
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2016 日本の旗 FC東京 203 (0)
2016 オーストリアの旗 SVホルンloan 17 (0)
2017-2018 日本の旗 サガン鳥栖 67 (0)
2019-2021 ポルトガルの旗 ポルティモネンセSC 15 (0)
2021 日本の旗 清水エスパルス(loan) 38 (0)
2022-2024 日本の旗 清水エスパルス 110 (0)
2025 ハンガリーの旗 デブレツェニVSC 4 (0)
2025- 日本の旗 ヴィッセル神戸 0 (0)
代表歴2
2003-2005  日本 U-17
2007-2009  日本 U-20 11 (0)
2011-2012  日本 U-23 21 (0)
2010-2022 日本の旗 日本 38 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2025年5月28日現在。
2. 2022年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

権田 修一(ごんだ しゅういち、1989年3月3日 - )は、神奈川県川崎市生まれ[4][5]東京都世田谷区出身のプロサッカー選手[6]Jリーグヴィッセル神戸所属。ポジションゴールキーパー(GK)。元日本代表

バスケットボール選手の両親を持つスポーツ一家で育つ[4]。3、4歳のときに「サッカーをやらせると成長にいい」と聞いた母親に勧められたのがサッカーを始めたきっかけであった[7]。小学校時は川崎市内のサッカークラブに所属していたため、GKとして川崎市選抜・神奈川県選抜に選ばれていた[4]。当時のお気に入りはアメリカ代表トニー・メオラ[8][9]。中学校進学時には、横浜F・マリノス川崎フロンターレの下部組織への選抜試験に合格し、さらに神奈川県選抜時の監督から湘南ベルマーレへの勧誘を受けていたが[8]、小学校時に近所のサッカースクールにFC東京がコーチングスタッフを派遣しており、権田が浅野寛文GKコーチの指導に好印象を受けた事と[注 1]、そのスクール生には観戦チケットがプレゼントされ、駒沢陸上競技場にてJ2リーグ時代のFC東京の試合を生観戦したことなどが決め手となり[4]FC東京U-15への入団を選択した。2003年のクラブユース選手権で優勝し日本一を経験。

プロ入り後

FC東京

2005年10月から2種登録選手としてトップチームの練習に帯同し始め[6][10][注 2]2007年からは国士舘高校に在学しながらFC東京トップチームに正式に昇格となった[11]。FC東京初の「平成生まれの選手」でもある[12]。同年シーズン終盤にはサブとして公式戦ベンチ入りも果たした。

ながらく塩田仁史の控えとして過ごしていたが、2009年1月下旬に塩田が虫垂炎及び麻痺性腸閉塞による長期離脱を強いられ、更に阿部伸行もコンディション不良が目立ったことから、権田が開幕スタメンに抜擢され公式戦デビューすることとなった。その開幕戦ではアルビレックス新潟に4失点、第2節も浦和レッドダイヤモンズに3失点で開幕2連敗と苦いデビューとなったが、第3節でJ1初昇格のモンテディオ山形に完封勝利し、第4節もジュビロ磐田に連続完封勝利を飾ると、それ以降はシュートに対する鋭い反応でチームに貢献。出場時間が規定に達しプロA契約選手となった。実質のデビューシーズンであったが、7月には全4試合を完封するなど(3勝1分)年間15完封[13] というJ1リーグの個人記録(タイ記録・当時)[14] を達成し[注 3]、チームの5位躍進に貢献。川崎フロンターレとのナビスコカップ決勝でもフル出場。チーム5年ぶりの優勝に貢献するとともにプロ初タイトルを獲得。無失点に抑え、当時の鬼武健二チェアマンからはMVP級の活躍だったと評価された[16]

2010年も開幕から引き続き正GKとし、3月はわずか1失点と好スタートを切ったが、4月以降は南アフリカワールドカップによる中断まで僅か1勝と低迷[17]。中断明け後も10試合未勝利を記録するなど低空飛行を続け、自身も夏場は一時的に塩田にスタメンを譲ることもあった。ホームゲームでは僅か2勝(うち1つは国立霞ヶ丘競技場での試合)に終わり、最終節では既に降格が決まっていた京都に敗れJ2降格が決まった。

J2に降格して迎えた2011年は若手の代表として[18] 副将を務めた[19]。シーズン当初はレギュラーで出場していたが、ロンドンオリンピック予選の招集を機に[20] 塩田にレギュラーを奪われ、A代表選手がクラブでは控えという状況にもなった[21]。シーズン終盤に差し掛かり再び正GKの座を奪取。塩田とのポジション争いは1年を通して続いた[22] 。J2では力の差を見せつけ、2位に大差をつけて1年でJ1に復帰した。

J1に復帰した2012年は、新たに就任したランコ・ポポヴィッチ監督から「日本でNo.1のGK」と全幅の信頼を寄せられ[23][24]、レギュラーを確保。しかし、「塩田との間に差は無い」とも評され[25]2013年の天皇杯では塩田の好守でチームがベスト4に進出する中、出場機会は無かった。また、2012年12月にドイツシュトゥットガルトイタリアエラス・ヴェローナの練習に参加した[26][27]

2014年は高いセーブ率で[15][28] 失点の大幅減に成功[29]。2015年より塩田の退団に伴い背番号を「1」へ変更。1stステージでは全試合フル出場を続けたが、同年7月にオーバートレーニング症候群を発症し、離脱。3ヶ月ほどで復調の兆しを見せたが[30]、戦列には復帰できなかった。

SVホルン

復活を期すクラブの了承の下[31]本田圭佑の熱望を受けて[32]2016年1月にオーストリアSVホルン期限付き移籍[33][34]。初先発となった3月4日、第17節SKラピード・ウィーンⅡ戦で完封勝利したが、続く同月11日第18節SVオーバーヴァルト戦で右脛骨を骨折[35]。2015-16シーズン中の回復は間に合わず、同シーズンの出場はこの2試合に留まったが、権田はホルンの日本人新監督濱吉正則の指導に戸惑うオーストリア選手との橋渡し役[注 4]を務め[37] 信頼を集めた[36]

2016-17シーズン第6節ウィーナー・ノイシュタット戦で5ヶ月ぶりに復帰した[38]。リーグ中断期間にあたる2016年12月でSVホルンとのレンタル契約が終了したためFC東京にレンタルバックした[39][40]

FC東京とは2017年末までの契約を残していたが[41]、2017年1月、ヨーロッパでのプレーを希望して契約解除を申し出た[42]。クラブは権田の意向を尊重する方針だったため[41]合意解除となった[43]

サガン鳥栖

ヨーロッパでの移籍先が見つからず[44]、2017年2月に帰国[45]。夏の移籍期間[注 5]まで無所属となることを覚悟していたが[42]サガン鳥栖から熱意あるオファーが届き[45]、同クラブへ移籍加入[47]。古巣との初対戦となったJ1第5節のFC東京戦では、古巣サポーターへ不義理な移籍を謝罪し[48]、感謝を述べた[49]

2018年、チームは残留争いに巻き込まれるもののリーグ戦34試合にフル出場。最後まで懸命にゴールマウスを守りチームのJ1残留に貢献した。シーズン終了後に行われたチームメイトによる投票により、2018年のチームMVPに選出された[50]

ポルティモネンセSC

2019年1月29日ポルトガル1部ポルティモネンセSCへ移籍する事を発表した[51]。5月17日、最終節のSCブラガ戦で移籍後初出場を果たした[52]。 2019-2020シーズンは、中盤からレギュラーに定着し15試合に出場した。 しかし翌シーズンは主に若手のサムエル・ポルトガルにレギュラーの座を譲った。

清水エスパルス

2020年12月25日清水エスパルス期限付き移籍[53]。背番号は37に決まった。加入後からレギュラーを争奪し、リーグ開幕戦鹿島アントラーズ戦では先発に抜擢。鳥栖時代の2018年のJリーグ最終節以来、約2年ぶりのJリーグ出場を果たすと、鹿島の猛攻をビッグセーブで防ぎチーム6年ぶりの開幕戦勝利ならびに9年ぶりのカシマスタジアムでの勝利に貢献した。

2021年12月23日、清水エスパルスへの完全移籍が発表され、背番号も21に変更することが発表された[54]

2022年5月7日の川崎フロンターレ戦でJ1通算300試合出場を達成した[55]

2023年シーズンから自身の息子の誕生日5月7日にちなんだ背番号57に変更することを発表した[56]

2024年11月8日、同シーズン限りで退団することが発表された[57][58]

デブレツェニVSC

2025年3月31日、ハンガリー1部リーグデブレツェニVSCに完全移籍を発表。リーグ戦4試合に出場し同年6月に退団。

ヴィッセル神戸

2025年9月20日、ヴィッセル神戸に完全移籍を発表。背番号は71に決まった[59]。ただし2025年は日本国内の選手登録が9月12日に締め切られたため、AFCチャンピオンズリーグエリート2025/26のみの選手登録となった[60]

日本代表

ユースではU-17日本代表に選ばれAFC U-17選手権2004で日本のゴールマウスを守った。

2007 FIFA U-20ワールドカップには香川真司と共に飛び級で選出されたが[61]、メンバー発表後に後十字靭帯を損傷し[2]、出場を辞退[62][注 6]

2008年U-19日本代表の主将として[64]2009 FIFA U-20ワールドカップアジア地区予選を兼ねたAFC U-19選手権サウジアラビア)に臨んだ。準々決勝の韓国戦では好セーブを連発したものの[65] 0-3と完敗。結果として日本が7大会連続で出場し続けていたU-20ワールドカップへの出場権を取り逃すという苦い経験をした。試合後には悔し涙を流しながらもTVインタビューに対応し、主将として責任感の強い部分を見せた。この年FC東京は権田との契約を複数年延長し[66]、将来のチームの大黒柱候補としての期待の大きさを伺わせた。

2009年12月21日にはアジアカップ最終予選イエメン代表戦に向けたA代表に初招集され、2010年1月6日の試合では先発出場を果たし国際Aマッチデビューを飾った[67]

2010年9月30日には、アルベルト・ザッケローニ新監督の日本代表にも選出された[68][注 7]。ここでの出場機会は得られなかったが、その後、ザッケローニはインタビューにおいて「たとえば権田。FC東京でプレーする1990年生まれのGKで[注 8]、日本代表では第3GKだが、素晴らしい将来性がある。」と、大きな期待を示し[70][71]翌年開催のAFCアジアカップにも第3GKとして招集された。

アジアカップ以後は世代別代表を優先し[注 9]、副将として[73] チームのまとめ役を担った[5]2012年7月2日ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表に選出された[74]。本大会ではグループリーグでのベストGKとの声が挙がる活躍で[75]、4試合連続無失点を記録し[76] ベスト4入りに貢献。しかし、準決勝と3位決定戦では自身の判断ミスも重なって[77] 連敗し44年ぶりのメダル獲得を逃した。

2014年に開催された2014 FIFAワールドカップにも第3GKとして招集されたが、本大会での出場機会はなくチームもグループリーグで敗退した。

2015年3月27日、Jリーグでの出色の出来を認められ[78]ヴァイッド・ハリルホジッチ新体制においてA代表復帰。同月の親善試合チュニジア代表戦で完封勝利を飾った[79]。7月30日には東アジアカップ2015の代表メンバーに選出されたが、コンディション不良(後述)により辞退[80]

2018年、森保一新体制の初陣であるキリンチャレンジ杯において、3年ぶりに招集された。10月12日に行われたパナマ戦に出場し、無失点に抑えた。

2019年、AFCアジアカップ2019では、ターンオーバーで挑んだグループリーグ1試合を除く6試合にレギュラーとして出場。大会当初は鳥栖所属でレギュラー唯一のJリーガーだったが、決勝戦の前にポルトガルのポルティモネンセへの移籍を発表し、これにより決勝戦のカタール戦では、日本代表史上初のスタメン全員海外組となった[81]

2021年3月25日の韓国代表戦にスタメン出場し、3-0で勝利。これにより国際Aマッチ出場8試合連続無失点となり、楢﨑正剛が持っていた日本記録を更新した[82]

2022年11月1日、2022 FIFAワールドカップに臨む日本代表に選出された[83]。なお、2018 FIFAワールドカップのメンバーには選出されていないため、日本代表において1大会をまたいでのW杯選出は初めてとなった。初戦のドイツ戦でスタメン出場を果たし、川口能活楢崎正剛川島永嗣に次いでゴールキーパーとしてワールドカップに出場した史上4人目の日本人となった。試合では前後半通じて26本のシュートを浴びながら、日本のゴールを死守し逆転勝利に貢献してMVPに選ばれた[84]。チームは決勝トーナメント1回戦で敗れたが、ベスト16進出に貢献した。

第二次森保ジャパンとなった2023年、契約更新した自身所属の清水がJ2降格を喫したことが影響し、森保監督は「日本の最高峰はJ1。優先順位をつけなければ」と話し、より高いレベルで戦っていくことを見据え、日程面なども考慮した上で招集を見送る方針を示唆。2022カタールW杯以降、代表招集は見送られることとなった[85]

家族

エピソード

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007FC東京34J100000000
20081900000000
20092034010010450
20103007020390
2011J2200-50250
2012J13100000310
20133302000350
20143300030360
201512205000270
オーストリア リーグ戦 リーグ杯オーストリア杯 期間通算
2015-16ホルン33レギオナル20--20
2016-17エアステ150-10160
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2017鳥栖33J13304020390
2018203403040410
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
2018-19ポルティモネンセ16プリメイラ10--10
2019-201401030180
2020-215700000000
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2021清水37J13800000380
2022213301010350
202357J24200000420
20243500000350
ハンガリー リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2024-25デブレツェニ57NB I40--40
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2025神戸71J1----
2026J1特別--
通算日本J1 32103201303660
日本J1特別 --
日本J2 97000501020
オーストリアエアステ 150-10160
オーストリアレギオナル 20-0020
ポルトガルプリメイラ 1501030190
ハンガリーNB I 40--40
総通算 45403302205090
  • 2005年、2006年はユース所属[注 2]
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2012FC東京2050
2025-26神戸71
通算AFC 50
その他の国際公式戦

出場歴

タイトル

選抜・代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 38試合 0得点(2010年 - 2022年)[67]
日本代表国際Aマッチ
出場得点
201010
201100
201200
201310
201400
201510
201700
201820
2019110
202020
2021100
2022100
通算 380

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2010年1月5日イエメンの旗サナアアリー・ムフセン・スタジアムイエメンの旗 イエメン○3-2岡田武史AFCアジアカップ2011・最終予選
2. 2013年7月25日大韓民国の旗華城華城総合競技場オーストラリアの旗 オーストラリア○3-2アルベルト・ザッケローニEAFF東アジアカップ2013
3. 2015年3月27日日本の旗大分大分スポーツ公園総合競技場チュニジアの旗 チュニジア○2-0ヴァイッド・ハリルホジッチキリンチャレンジカップ2015
4. 2018年10月12日日本の旗新潟デンカビックスワンスタジアムパナマの旗 パナマ○3-0森保一キリンチャレンジカップ2018
5. 2018年11月20日日本の旗豊田豊田スタジアムキルギスの旗 キルギス○4-0
6. 2019年1月9日アラブ首長国連邦の旗ドバイアール・ナヒヤーン・スタジアムトルクメニスタンの旗 トルクメニスタン○3-2AFCアジアカップ2019
7. 2019年1月13日アラブ首長国連邦の旗アブダビシェイク・ザイード・スタジアムオマーンの旗 オマーン○1-0
8. 2019年1月21日 アラブ首長国連邦の旗シャルジャ シャールジャ・スタジアム サウジアラビアの旗 サウジアラビア
9. 2019年1月24日 アラブ首長国連邦の旗ドバイ アール・マクトゥーム・スタジアム ベトナムの旗 ベトナム
10. 2019年1月28日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン ハッザーア・ビンザイード・スタジアム イランの旗 イラン ○3-0
11. 2019年2月1日アラブ首長国連邦の旗アブダビザイード・スポーツシティ・スタジアムカタールの旗 カタール●1-3
12. 2019年9月5日日本の旗茨城茨城県立カシマサッカースタジアムパラグアイの旗 パラグアイ○2-0キリンチャレンジカップ2019
13. 2019年9月10日ミャンマーの旗ヤンゴントゥウンナ・スタジアムミャンマーの旗 ミャンマー2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023・2次予選
14. 2019年10月10日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002モンゴルの旗 モンゴル○6-0
15. 2019年10月15日タジキスタンの旗ドゥシャンベドゥシャンベ・セントラル・スタジアムタジキスタンの旗 タジキスタン○3-0
16. 2019年11月14日キルギスの旗ビシュケクドレン・オムルザコフ・スタジアムキルギスの旗 キルギス○2-0
17. 2020年10月9日オランダの旗ユトレヒトスタディオン・ハルヘンワールトカメルーンの旗 カメルーン△0-0国際親善試合
18. 2020年11月13日オーストリアの旗グラーツメルクール・アレーナパナマの旗 パナマ○1-0
19. 2021年3月25日日本の旗横浜日産スタジアム大韓民国の旗 韓国○3-0
20. 2021年3月30日日本の旗千葉フクダ電子アリーナモンゴルの旗 モンゴル○14-02022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023・2次予選
21. 2021年6月7日日本の旗大阪パナソニックスタジアム吹田タジキスタンの旗 タジキスタン○4-1
22. 2021年6月11日日本の旗神戸ノエビアスタジアム神戸セルビアの旗 セルビア○1-0キリンチャレンジカップ2021
23. 2021年9月2日日本の旗大阪パナソニックスタジアム吹田オマーンの旗 オマーン●0-12022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
24. 2021年9月8日カタールの旗ドーハハリーファ国際スタジアム中華人民共和国の旗 中国○1-0
25. 2021年10月8日サウジアラビアの旗ジッダキング・アブドゥッラー・スポーツシティサウジアラビアの旗 サウジアラビア●0-1
26. 2021年10月12日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002オーストラリアの旗 オーストラリア○2-1
27. 2021年11月11日ベトナムの旗ハノイミーディン国立競技場ベトナムの旗 ベトナム○1-0
28. 2021年11月16日オマーンの旗マスカットスルタン・カーブース・スポーツコンプレックスオマーンの旗 オマーン
29. 2022年1月27日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002中華人民共和国の旗 中国○2-0
30. 2022年2月1日サウジアラビアの旗 サウジアラビア
31. 2022年3月24日オーストラリアの旗シドニースタジアム・オーストラリアオーストラリアの旗 オーストラリア
32. 2022年6月6日日本の旗東京国立競技場ブラジルの旗 ブラジル●0-1キリンチャレンジカップ2022
33. 2022年9月23日 ドイツの旗デュッセルドルフ デュッセルドルフ・アレーナ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ○2-0 国際親善試合
34. 2022年11月17日 アラブ首長国連邦の旗ドバイ アール・マクトゥーム・スタジアム カナダの旗 カナダ ●1-2
35. 2022年11月23日 カタールの旗ライヤーン ハリーファ国際スタジアム ドイツの旗 ドイツ ○2-1 2022 FIFAワールドカップ
36. 2022年11月27日 アフメド・ビン=アリー・スタジアム コスタリカの旗 コスタリカ ●0-1
37. 2022年12月2日 ハリーファ国際スタジアム スペインの旗 スペイン ○2-1
38. 2022年12月6日 カタールの旗アル=ワクラ アル・ジャヌーブ・スタジアム クロアチアの旗 クロアチア △1-1.1PK3

関連情報

脚注

外部リンク

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