母の日
記念日のひとつ、母への感謝を表す日
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起源
アイルランドとイギリス
「マザリングサンデイ」は移動祝日で、キリスト教暦で復活祭の3週間前にあたるレント(四旬節)期間の第4日曜日に祝す。17世紀以来、奉公中の子供が教会で母親と面会などする。
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国では南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送ることを今後絶対に拒否する目的で「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation) を発した。ハウは、南北戦争中にウェストバージニア州で「母の仕事の日」(Mother's Work Days) と称して敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動に着想したが、普及せずに定着しなかった。
ジャービス他界2年後の1907年5月12日に娘のアンナ・ジャービス (Anna Jarvis) は、母親が日曜学校の教師を務めた教会で記念会を催して白いカーネーションを贈り、以後アメリカでの母の日の起源とされる[1]。
アンナの想いに感動した人々は母親を忘れない日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会で470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に母親が好んだ白いカーネーションを手渡し、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナは友人らに「母の日」を設けて国中で祝うことを提案した。
オーストラリア
オーストラリアでは、毎年5月第2日曜日が母の日である。母の日の贈答習慣は1924年、シドニーのライカート (Leichhardt) に住むジャネット・ヘイデン (Mrs Janet Heyden) が始めた[3]。
ジャネットはニューイントン (Newington, Victoria) の州立女性老人ホームを訪ねて多くの孤独で"忘れられた母"たちに出会い、彼女らを喜ばせるために地元の学校や企業の協力をとりつけ、贈り物を贈ることにした。以後毎年、彼女は贈り物の習慣の規模を少しずつ大きくして、地元企業や市長にも協力を取り付けた。以来、母の日の贈り物の習慣は商業化された。
母の日の時期に開花して見頃になるクリサンセマム(chrysanthemum, キク属)は語尾から "mum" と俗称され、母親の "mum" と発音が重複することから母の日に菊花を贈る習慣[4]や、近年は上着の折り襟にキクの生花を挿してピンで留めたり菊花を模した襟章 (lapel pin) を飾る男性[要出典]なども散見される。
日本

1931年(昭和6年)に大日本連合婦人会が結成された際、同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」と定めたが[1][5]、一般への普及には至らなかった。
1932年5月8日(第2日曜日)には、東京市や全国母の会などの共催による「母の日大会」が日比谷公会堂で開催された。その背景には、アメリカ流の「5月第2日曜日にカーネーションを贈る」習慣の普及に取り組んだ青山学院関係者の働きかけがあったとされる[6]。
1937年(昭和12年)5月8日には、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された[7]。戦後の1949年(昭和24年)ごろからは、アメリカの例に従い5月の第2日曜日に定着した。
母の日には、母親が健在であれば赤色、亡くなっている(鬼籍に入っている)場合は白色のカーネーションを贈る習慣が広く知られている。また、新社会人が初任給でプレゼントを購入する機会としても一般的である。
なお、毎年5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律第2条において「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨として定めている。
世界の「母の日」の日付
| 日取り | 採用国 |
|---|---|
| 2月第2日曜日 | |
| シュバット月30日[注 1] | |
| 3月3日(上巳) | |
| 3月8日 | |
| 四旬節の第4日曜日 | |
| 3月21日(春分ごろ) | |
| 4月7日 | |
| 5月第1日曜日 | |
| 5月8日 | |
| 5月第2日曜日 | |
| 5月10日 | |
| 5月15日 | |
| 5月26日 | |
| 5月30日 | |
| 5月最終日曜日 | |
| 8月12日 | |
| 8月15日 | |
| 10月第3日曜日 | |
| 11月16日 | |
| 11月最終日曜日 | |
| 12月22日 |