慶長12年(1607年)、父元包の知行地殿居村で生まれる。1613年(慶長18年)、父とともに阿川八幡宮を修築した。寛永2年(1625年)、父の隠居により家督相続する。同年、家中の知行地再編により、当時藩執政を務めていた母の兄毛利秀元の意向で、藩主が参勤交代で通行する街道・萩往還の後背の要地吉敷郡吉敷に移り、以降は吉敷毛利家と通称され、代々藩の一門家老を務めた。また、一族の菩提寺黄龍山玄済寺を吉敷に移している。寛文11年(1671年)、病のため隠居して家督を婿養子の就直に譲った。延宝4年(1676年)に吉敷で死去、享年70。