毛利元重
江戸時代前期から中期の長州藩主家の一門。従四位下・大監物、後に監物。毛利綱広の五男
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
長州藩2代藩主・毛利綱広の五男として誕生した。母は梨木永祐の娘・昌寿院(房子)。5代藩主・毛利吉広の同母弟である。幼名は長吉。
元禄3年(1690年)7月5日、跡継ぎのいなかった福井藩7代藩主・松平昌親(のちの吉品)の養子となる。これは、父・綱広が結城秀康の外孫(すなわち長吉が昌親と同じく秀康の曾孫)であったこと、また昌親自身が異母兄(綱広の長男で長吉の長兄)吉就の母方の伯父にあたるなどの縁によるものであった。この時に松平昌盛(まつだいら まさもり)、のちに松平昌方(まつだいら まさかた)に改名する。
元禄5年(1692年)2月15日、従四位下・大監物に叙任する。
元禄12年(1699年)7月、多病との理由により養子縁組を解消し、実家に戻る(5月末に離縁し、6月1日に毛利復姓とも)。この離籍以後は毛利元重を称す。また、通称を監物とし、宍戸権之助を付役として、江戸青山の長州藩江戸藩邸中屋敷や萩城下で過ごした。