永キ
清の乾隆帝の第十二皇子
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生涯
乾隆30年(1765年) 乾隆帝の江南巡幸の際、生母の継皇后那拉氏が帝の怒りを買って直接北京に送り返され、廃后の詔書こそ下されなかったが、事実上皇后位を廃された。
乾隆31年(1766年) 継皇后那拉氏が死去した。乾隆35年(1770年) 博爾濟吉特(ボルギジト)氏と成婚する。
乾隆36年(1771年) 「御製満蒙文鑑」の編纂を命じられる。
乾隆40年(1775年) 「御製満蒙文鑑」の総綱が完成し、乾隆帝からある程度の評価を受ける。
乾隆41年(1776年) 23歳で逝去。子がなかったため、異母兄永瑆の第四子綿偲が養子となって家を嗣いだ。
嘉慶4年(1799年) 異母弟の嘉慶帝より多羅貝勒に追封された。
参考文献
- 『清史稿』