泰澄

日本の奈良時代の僧 From Wikipedia, the free encyclopedia

泰澄(たいちょう、天武天皇11年6月11日682年7月20日) - 神護景雲元年3月18日767年4月20日))は、奈良時代修験道[1]加賀国(当時越前国白山を開山したと伝えられる[1][2]越(こし)の大徳と称された[3]

生涯

越前国麻生津(福井市南部)にて、豪族三神安角(みかみのやすずみ)の次男として生まれる[4]。11歳の時出家し、法澄と名乗る[4]。越智山にのぼり、十一面観音を念じて修行を積んだ[4]大宝2年(702年文武天皇から鎮護国家の法師に任じられ、豊原寺を建立する。その後養老元年(717年)越前国の白山にのぼり妙理大菩薩を感得した[4]。同年、平泉寺を建立する。養老3年からは越前国を離れ、各地にて仏教の布教活動を行う[4]。養老6年元正天皇の病気平癒を祈願し、その功により神融禅師(じんゆうぜんじ)の号を賜った[4]天平9年(737年)に流行した疱瘡を収束させた功により、孝謙仙洞重祚により称徳天皇に即位の折り、正一位大僧正位を賜り泰澄に改名した[5]と伝えられる。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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