泰澄
日本の奈良時代の僧
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生涯
越前国麻生津(福井市南部)にて、豪族三神安角(みかみのやすずみ)の次男として生まれる[4]。11歳の時出家し、法澄と名乗る[4]。越智山にのぼり、十一面観音を念じて修行を積んだ[4]。大宝2年(702年)文武天皇から鎮護国家の法師に任じられ、豊原寺を建立する。その後養老元年(717年)越前国の白山にのぼり妙理大菩薩を感得した[4]。同年、平泉寺を建立する。養老3年からは越前国を離れ、各地にて仏教の布教活動を行う[4]。養老6年元正天皇の病気平癒を祈願し、その功により神融禅師(じんゆうぜんじ)の号を賜った[4]。天平9年(737年)に流行した疱瘡を収束させた功により、孝謙仙洞重祚により称徳天皇に即位の折り、正一位大僧正位を賜り泰澄に改名した[5]と伝えられる。