清和朝の貞観6年(864年)従五位下に叙爵し、貞観8年12月(867年2月)次侍従に補される。貞観11年(869年)越中権介に任ぜられ地方官を務めた後、貞観16年(874年)大蔵少輔として京官に復す。陽成朝では宮内大輔を務める一方、但馬権守・次いで但馬守を兼ね、元慶3年11月(880年1月)従五位上に叙されている。
光孝朝でも引き続き宮内大輔を務め、仁和3年(887年)大和権守を兼ねた。その後、時期は不明ながら宮内卿を務め、位階は従四位下に昇った。
子女二人は共に『古今和歌集』に和歌作品が入集している歌人である。