火ヴァッチャ経
パーリ仏典経蔵中部に収録されている第72経
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構成
登場人物
- 釈迦
- ヴァッチャ(ヴァッチャゴッタ) - 外道の修行者
場面設定
ある時、釈迦はサーヴァッティー(舎衛城)のアナータピンディカ園(祇園精舎)に滞在していた。
そこに外道の修行者ヴァッチャが訪れ、釈迦に、世界の永遠性・有限性・無限性、生命と身体の同一性、如来(修行完成者)の死後などについての諸見解の、いずれかを持ち合わせているか問うも、釈迦は全て否定する。
釈迦は五蘊(色受想行識)においてそうした事柄に囚われないことが解脱において重要であることを、「火の喩え」と共に説く。火が薪に依存して点いたり消えたりするように、そうした事柄も五蘊(色受想行識)に依存して現れているのであり、その根を押さえることが重要であると。
ヴァッチャは法悦し、三宝への帰依を誓う。
内容
ヴァッチャの問いかけ
ヴァッチャは釈迦に、以下10の見(diṭṭhi)について問いかける。釈迦はすべてを否定する。
- 世界(loka)は常住(sassato)であるのか
- 世界は無常(asassato)であるのか
- 世界は有限(antavā)であるのか
- 世界は無限(anantavā)であるのか
- 生命(jīvaṃ)と身体(sarīra)は同一か
- 生命と身体は別個か
- 修行完成者(如来)は死後存在するのか
- 修行完成者(如来)は死後存在しないのか
- 修行完成者(如来)は死後存在しながらしかも存在しないのか
- 修行完成者(如来)は死後存在するのでもなく存在しないのでもないのか
なお、この10つの問いは小マールキヤ経でもなされたものである。
解脱者の死後
さらにヴァッチャは「心が解脱した比丘」の死後について、釈迦に問いを繰り返す。釈迦は以下すべてを「適切ではない」と答える。
- 再生する
- 再生しない
- 再生しかつ再生しない
- 再生するのでもなく、再生しないのでもない
混乱したヴァッチャに、釈迦は火にたとえて質問する。
ヴァッチャの答えに基づき、釈迦は「心が解脱した比丘」の死後について、それらが「適切ではない」と回答した理由を火に例える。
Sace pana taṃ vaccha evaṃ puccheyya 'yo te ayaṃ purato aggi nibbuto so aggi ito katamaṃ disaṃ gato, puratthimaṃ vā pacchimaṃ vā uttaraṃ vā dakkhiṇaṃ vāti.
ヴァッチャよ、ではもし誰かがこう尋ねたらどう答えるか。「君の前で消えたその火は、ここからどの方角へ去ったのか? 東か、西か、北か、南か」。こう問われたらどう答えるか?
Evaṃ puṭṭho tvaṃ vaccha kinti byākareyyāsīti? Na upeti bho gotama. Yaṃ hi so gotama aggi tiṇakaṭṭhūpādānaṃ paṭicca ajali 3 tassa ca pariyādānā aññassa ca anupahārā anāhāro nibbuto'teva saṅkhaṃ gacchatī'ti.
ゴータマよ、その問いは適切ではありません。なぜなら、その火は草や木の取(upādānaṃ)を縁(paṭicca)として燃えていたのであり、それ(燃料)が使い果たされ、他の(燃料が)補充されなかったために、食(栄養)がなくなって消失したのだ、と称されるからです。
燃料がなくなった為に火は消える。如来の死後の五蘊も同様であると説く。
Evameva kho vaccha yena rūpena tathāgataṃ paññāpayamāno paññāpeyya, taṃ rūpaṃ tathāgatassa pahīnaṃ ucchinnamūlaṃ tālāvatthukataṃ anabhāvakataṃ āyatiṃ anuppādadhammaṃ.
ヴァッチャよ、まさにその通りである。(死後の)如来を規定(定義)するはずの色(Rupa)は、如来において放棄され、根絶され、芯を切られたタラヨウ樹のようになり、存在を失い、将来において二度と生じることがない性質のもの(法)となっている。
Rūpasaṅkhāvimutto kho vaccha tathāgato gambhīro appameyyo duppariyogāho seyyathāpi mahāsamuddo,
upapajjatīti na upeti, na upapajjatīti na upeti, upapajja ti ca na ca upapajjatīti na upeti, neva upapajjati na nūpapajjatīti na upeti.ヴァッチャよ、(死後の)如来は色(Rupa)を滅尽し解脱(vimutto)している。あたかも大海のように、深く、量りがたく、底知れない存在である。
(それゆえ)「再生する」とは適切ではなく、「再生しない」とは適切ではなく、「再生し、かつ再生しない」とは適切ではなく、「再生するのでもなく、再生しないのでもない」というのも適切ではないのである。
...(受,想,行,識も同様だと説く)...