神農氏
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神農氏(しんのうし)は、古国時代の伏羲女媧政権と黄帝有熊氏の間の時期に存在したとされる、伝説上の姜姓の氏族である。また、黄帝有熊氏、蚩尤と同祖であるとされる[注釈 1][注釈 2][1][2]。中国神話と歴史の中で、一説には三皇の一人とされ、また一説には五帝の一人とされる存在であり、かつて天下を統べた世界の共主であった。
現代中国において、炎帝神農氏は黄帝と並び称される人文初祖であり、中国人は自らを炎黃子孫と称している。この「炎」とは、まさに炎帝神農氏の子孫を指すものである。
楚帛書の体系において、炎帝は祝融と四神に命じて三天四極を定めさせた——すなわち世界を開闢し、日月の出没を許し、天地万物の生滅変化をもたらした存在であり、中国古代における南方の古天帝とされる。[3]
概要
炎帝
称号
帝室
→詳しくは古国時代の人物一覧も参照
これらは全て伝説上のものである事に留意。
- 神農 (1) 51年間在位。
- 帝臨魁(2) 60年間在位。
- 帝承 (3) 3年間在位。
- 帝明 (4) 54年間在位。
- 帝直 (5) 23年間在位。
- 帝来 (6) 54年間在位。
- 帝哀 (7) 51年間在位。
- 節莖 帝哀の子。
- 克 節莖の子、帝楡罔の父。
- 帝楡罔(8) 55年間在位。阪泉で敗れ滅亡。
また、飛龍氏、潜龍氏、居龍氏、降龍氏、土龍氏、水龍氏、青龍氏、赤龍氏、白龍氏、黒龍氏(黄龍氏)の氏族が太陽神・神農の子孫として支配したとされるが、当時の「氏」を太古時代のように個人として扱う場合は、10代8帝の帝室と符合する[注釈 3]。
その後
阪泉の戦いでの滅亡後、一族は四散したとされるが、これは西に逃れた先[注釈 4]の羌族と同化した一族である。伯夷・叔斉については詳しく記録があり、孤竹国の君主となったともされる。
- 炎居 帝楡罔の子[4]。
- 節並 炎居の子。
- 戯器 節並の子。
- 祝融 戯器の子。火事の象徴とされる[注釈 5]。
- 共工 祝融の子。水害の原因とされる[注釈 6]。
- 勾龍 共工の子。
- 夸父 勾龍の子。
- 竹猷
- 亜微 竹猷の子。
- 伯夷・叔斉 亜微の子。武王克殷に反対し、餓死。
後にこの一族は呂を姓とした。また、末裔に太公望(呂尚)や呂不韋(秦の丞相)がいるともされる。しかし、伯夷・叔斉は墨胎氏の子允(公信)・子致(公達)[注釈 7]とされており、子姓であった事となり、伝承に混乱がみられる。