烏丸光栄
江戸時代中期の公卿・歌人。母はあるいは家女房。正二位・内大臣
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経歴
累進して正二位・内大臣に至る。なお、烏丸家で内大臣にまで至ったのは、この光栄だけである[注釈 1]。号は不昧真院。法名は海院浄春。和歌を霊元天皇を始め中院通躬や武者小路実陰に師事した。また和歌の門下には有栖川宮職仁親王や桜町天皇がおり、天皇は光栄から古今伝授を受けた。また、三上藩主である遠藤胤忠にも古今伝授を授けた。
優れた歌人であり、「栄葉和歌集」や「詠歌覚悟」などの著書がある[1]。延享5年(1748年)3月14日に死去。享年60。家督は享保18年(1733年)に光栄の養子となっていた、弟の中御門宣誠の密子(都合上、認知できないために存在が秘密になっている子)[注釈 2][2]の光胤が相続した[3]。