無理数
有理数ではない実数
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無理数の例
以下の実数は無理数である。
- 平方数ではない自然数の平方根( 、など)
- 整数 N の m 乗根 (ただし、m は 1 より大きい整数、N は m 乗数でない整数)
- 対数 logm n(ただし、m, n は 1 より大きい整数で、m = Na, n = Nb を満たす整数 N, a, b が存在しない)
- log2 3 や log2 5
- 非零の有理数 x に対する三角関数の値[4] cos x, sin x, tan x, csc x, sec x, ctn x
- 円周率 π
- ネイピア数 e
- ゲルフォントの定数 eπ
- アペリーの定数 ζ(3)
- 小数部分が循環しない無限小数で表される数。例えば十進法における
- チャンパーノウン定数 0.123456789101112…(小数部分に自然数を順に並べた小数)
- コープランド-エルデシュ定数 0.2357111317192329…(小数部分に素数を順に並べた小数)
無理数であることの判定法
任意の ε > 0 に対して不等式
が有理数解 p/q を持つとき、α は無理数である。これは α が無理数であるための必要十分条件でもある。無理数性の証明にはたいていこのことを利用している。
性質
代数的無理数と超越数
無理数度
歴史
無理数の発見は古代ギリシア文明にまで遡る。一説では、無理数の発見者は古代ギリシャの大数学者、ピタゴラスの弟子であったヒッパソスという人物であった。ヒッパソスは正方形の研究をしているうち、その辺と対角線の長さの比は整数でも分数でも表せない未知の数、すなわち無理数であることを発見したという。
彼の師匠のピタゴラスは、宇宙の万物は数から成り立つこと、そして宇宙を構成する数は、調和した比を保っていると信じていた。ピタゴラスと教団は教義の反証である無理数が存在する事実に動揺し、不都合な事実を隠すため、発見者のヒッパソスを縛りあげ、船から海に突き落として殺害したという伝承が残っている。
ただし、ピタゴラスと無理数にまつわる以上の伝承が史実であるかどうかは疑わしい。この伝承のもととなっている記述が見られるもっとも古い文献はイアンブリコスの著作(『ピュタゴラス的な人生について』など)であるが、そもそもイアンブリコスは伝承が描く時代から6世紀以上後の時代の人である[7]。さらに、この文献の記述は、ヒッパソスが創始したマテーマティコイというピタゴラス派の分派と対立する分派アクゥスマティコイが、無理数について述べたかもしれないヒッパソスが偶然にも海で溺死したという出来事を使って「不敬の故に神罰が下った」とする伝説を創作した、と解釈することが合理的であるとも考えられている[8]。伝承のもととなっている他の記述は、パッポス『原論』第10巻注釈や『原論』第10巻古注1における記述であるが、どちらもイアンブリコスの著作よりも後の時代のものである[9]。
プラトンが現れると、彼の著書『テアイテトス』の中で平方数でない数の平方根は有理数ではないことを論じ、さらに同じ論法が立方根についても適用できると述べている。これらの数学的な蓄積を受けて、エウクレイデスは『原論』の中で統一した形で実数論を展開している。
円周が円の直径の3倍より少し大きいことは古くから知られていた。古代インドやギリシアの数学者たちの間では半径 r の円の面積が円周率 π を使って πr2 であることも知られ、アルキメデスは半径 r の球の体積が 4/3πr3 であることや、この球の表面積が 4πr2 (その球の大円の面積の4倍)であることを示していた。円周率 π が無理数であることはすでにアリストテレスによって予想されていたが、実際に証明されたのはそれよりはるかに後の時代のことである(ヨハン・ハインリヒ・ランベルト)。
自然対数の底であるネイピア数 e は、1618年にジョン・ネイピアが発表した対数の研究の付録の表にその端緒があるが、定性的に研究したのはレオンハルト・オイラーである。
1872年にリヒャルト・デデキントは『連続性と無理数』を出版し、デデキント切断を用いて無理数を定義した。
リーマンゼータ関数の特殊値 ζ(3) は、アペリーによって1979年に無理数であることが証明された(アペリーの定数)。π + eπ は、ネステレンコによって無理数であることが証明された。
