犬王
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生涯
生年不詳ながら、活動時期からして観阿弥と同世代、もしくは多少年下かと思われる[要出典]。物まねを主体とする大和猿楽に対し、風流歌舞を旨とする近江猿楽の芸風をよく体現し、ひろく人気を集めたとされる[要出典]。
永徳2年(1382年)5月、北野天満宮法華堂前で演じたのが初見[1]。一時、庇護者だった足利義満の不興をこうむったが[要出典]、後に許され、義満の法名「道義」から一字をもらって阿弥号「犬阿弥」を「道阿弥」に改めた[1]。応永15年(1408年)3月、後小松天皇が北山第に行幸した際の天覧能を務め[1]、観阿弥没後の猿楽では第一の実力者と目される[1]。また、猿楽能の先駆者である観阿弥を敬慕しており、観阿弥の命日である十九日にはかならず供養を行った[2]。世阿弥は犬王をきわめて高く評価し、『申楽談儀』に「犬王は、上三花にて、つゐに中上にだに落ちず」と述べている。このほか、『申楽談儀』には犬王の芸に関する言及が多い[1]。
歌舞幽玄や天女舞を得意として、世阿弥に大きな影響を与えた[1]。竹本幹夫は、世阿弥が犬王の得意とした「天女舞」を取り入れて、舞事の充実をはかったとする説を提唱した[3][4]。