猿江
東京都江東区の町名
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概要
深川地域東部の中でも数少ない江戸時代以前から陸地が広がるエリアであり、「深川猿江」の名で長く親しまれている町である。
地理
歴史
1910年(明治43年)8月には、明治43年の大水害に見舞われ一帯が水没した[6]。 1921年(大正10年)、猿江小学校の校舎が完成。小学校の校舎として日本初の鉄筋コンクリート構造であった[7]。 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では地区のほとんどが甚大な被害を受けたほか、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲でも工場地帯であったため、本所区と並んで深川区はアメリカ軍の標的の中心となった場所としても知られている。
1934年(昭和9年)に、深川東町の一部、深川猿江裏町の一部、深川猿江町、深川本村町の一部、深川上大島町を合併し深川猿江町とし、1968年(昭和43年)に猿江となった。
町並みは江戸時代の長屋の町割りの名残で、細い路地が碁盤の目のように縦横に交差している。
戦前は、狭い路地に木造家屋がひしめく典型的な下町であったが、戦後の区画整理で狭い道は無くなり、最近では古い家も少なくなり、近年はマンションやアパートが立ち並ぶ住宅地になっている。
地名の由来
世帯数と人口
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[14][15]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 猿江一丁目 | 全域 | 江東区立東川小学校 | 江東区立深川第七中学校 |
| 猿江二丁目 | 1~11番 | ||
| 12〜16番 | 江東区立毛利小学校 |
