宋のとき、瓊州は広南西路に属し、瓊山・舎城・澄邁・臨高・文昌・楽会の6県を管轄した[2]。
1329年(天暦2年)、元により瓊州は乾寧軍民安撫司が置かれた。乾寧軍民安撫司は湖広等処行中書省に属し、瓊山・澄邁・臨高・定安・文昌・会同・楽会の7県を管轄した[3]。
1368年(洪武元年)、明により乾寧軍民安撫司は瓊州府と改められた。瓊州府は広東省に属し、瓊山・澄邁・臨高・定安・文昌・会同・楽会の7県と儋州に属する昌化県と万安州に属する陵水県と崖州に属する感恩県、合わせて3州10県を管轄した[4]。
清のとき、瓊州府は広東省に属し、瓊山・澄邁・臨高・定安・文昌・会同・楽会の7県を管轄した[5]。
1913年、中華民国により瓊州府は廃止された。