田中弥助
日本の実業家、俳人、政治家
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経歴
長野県上水内郡中御所村(現長野市)に生まれる[1]。小学校卒業後は印刷所で徒弟として修業し[1]、1903年に加除式の法規書を出版する合名会社「令省社」の設立に参加。1910年に長野新聞に入社し、1912年にはその支配人となる。1917年には令省社を改組改称して大日本法令出版を設立。1943年、同業の20余社を統合して東京に第一法規出版を設立[1]。長男の田中重弥が社長を継ぎ、戦後いち早く「現行法規総覧」、「判例体系」などの書籍を刊行し、当分野で不動の地位を築いた。
一方、長野県会議員を2期務めた後[1]、1936年の第19回衆議院議員総選挙で長野県第1区から立憲政友会公認で当選、衆議院議員を1期務めた[2][3]。また、長野商工会議所会頭、長野商工会連合会長等も歴任した[1]。1943年(昭和18年)10月9日死去[3]。長男の重弥も地盤を継いで長野県第1区から出馬し、世襲衆議院議員となった。
俳人として臼田亜浪の「石楠」や島田九万字の「山」に参加し、小林一茶百年祭や善光寺奉讃俳句大会などを開催した。句集に「山霊」「美穂句集」「続美穂句集」、編著「善光寺句集」などがある。