田幡
名古屋市北区・西区の地名
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地理
西区と北区に跨って存在する田幡町と、町名整理により編成された北区田幡1丁目から2丁目がある。現在、田幡町と田幡1丁目から2丁目は地理的に離れて存在している。
北区田幡1丁目から2丁目は区の南西部に位置する。東端は国道41号(道路上に名古屋高速道路1号楠線)を境に黒川本通1丁目、北端は名古屋市道名古屋環状線を境に東側が志賀南通1丁目で西側が城見通3丁目、西端は金城3丁目から4丁目、南端は堀川(北区田幡町)を挟んで西側が柳原3丁目と東側が清水4丁目と接している。
西区田幡町は字西ハサバが残り、東は北区駒止町、北から西にかけて城北町、南は秩父通に接する。北区田幡町は堀川(黒川)と道路の一部にのみ存在する。
字一覧
田幡町の小字は以下の通り[WEB 6][1]。 以下の表において、
- 消滅した字については背景色 で示す。
- 現存する字のうち西区に所在するものには■を、北区に所在するものには★を付した。
- 括弧内には読みを示す。
| 字 | 字 |
|---|---|
| 市場屋敷(いちばやしき) | 乾出(いぬいで)[注釈 1] |
| 猪ノ木(いのき) | 馬出シ(うまだし) |
| 円蔵(えんぞう) | 御膳田(おぜんだ) |
| 北原(きたはら) | 北蓮花寺(きたれんげじ) |
| 志賀前(しがまえ) | 志賀前角田(しがまえすみだ) |
| 四反田(したんだ) | 釈迦堂(しゃかどう) |
| 塩藪(しおやぶ)★ | 天神田(てんじんだ) |
| 寺裏(てらうら) | 中屋敷(なかやしき) |
| 西東光寺(にしとうこうじ)★ | 西ハサバ(にしはさば)■ |
| 西屋敷(にしやしき) | 二反田(にたんだ) |
| ハサバ(はさば) | 八反田(はったんだ) |
| 畑中(はたなか) | 浜江場(はまえば)[注釈 2] |
| 半ノ木(はんのき) | 東東光寺(ひがしとうこうじ)★ |
| 深ノ川(ふけのかわ) | 防田(ぼうた)[注釈 3] |
| 堀田(ほりた) | 前並上之町(まえなみかみのちょう)[注釈 4] |
| 前並下之町(まえなみしものちょう)[注釈 5] | 前並中之町(まえなみなかのちょう)[注釈 6] |
| 南蓮花寺(みなみれんげじ) | 森下(もりした) |
| 横枕(よこまくら) | 割田(わりだ) |
河川
- 堀川(黒川)
歴史
町名の由来
江戸期の春日井郡田幡村を前身とする。中世まで山田郡に属した。田幡という地名について、『尾張国地名考』には棚機から転じたという説と田之端(たのはた)から転じたという説の二説が紹介されている[2]。平安期成立の『延喜式神名帳』に「山田郡...多奈波太神社」と記載があり、これを多奈波太神社に比定する説がある。「田幡」という地名の確実な初見は南北朝期で、『釈論開解抄』巻12の応安5年(1372年)付奥書に「於尾州山田庄田幡郷」とある。
田幡町の小字名「西ハサバ」については珍地名として知られており、由来として複数の説が指摘されている。一つは「川と川の間が狭いという『はざま』がなまった」と言う説、一つは「機織りの『機場(はたば)』がなまった」とする説、一つは「新潟・富山・福井・岐阜などで」「稲架」の意として使われるという[3]「稲架(はさ)」のある場所としての「稲架場(はさば)」であるとする説の三説である[新聞 1]。 地元の地名研究家である水谷盛光によれば、かつて付近には機織り工場が多く所在し「機場(はたば)」と称していたのを、名古屋市交通局がバス停を設置する際に「ハサバ」としたために生まれた地名であり、現在は繊維業の衰退によりその痕跡がなくなってしまったという[4][WEB 7]。また、名古屋史料研究所の山田寂雀は、「一帯には三郷用水などがあり、水路が入り組んでいた」ことから「狭間」が転じた説を支持し、「稲架場」説に理解を示しつつも疑問を呈している[新聞 1]。
行政区画の変遷
- 1880年(明治13年) - 西春日井郡成立により、同郡所属となる。
- 1889年(明治22年) - 西春日井郡金城村の大字田幡となる。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市編入に伴い、同市西区田幡町となる[5]。
- 1937年(昭和12年) - 一部が東区田幡町となる。
- 1944年(昭和19年) - 北区成立に伴い、東区田幡町が北区田幡町となり、同時に西区田幡町から一部が編入される。
- 1952年(昭和27年)12月20日 - 以下の区域変更が行われた[5]。
- 北区田幡町の一部(字防田・釈迦堂・畑中・堀田・市場屋敷・馬出し・浜江場・志賀前・猪ノ木・森下の各一部)・杉村町の一部(字道下の一部)・志賀町の一部(字勘定寺前の一部)により北区田幡町1~2丁目が編成される。
- 北区田幡町の一部(字畑中・猪ノ木・森下・堀田・北原・中屋敷・塩藪・市場屋敷・志賀前・志賀前角田の各一部)が金城町1~2丁目に編入。
- 北区田幡町の一部(字北蓮花寺・南蓮花寺・円蔵・北原・志賀前角田の各一部)が駒止町1~2丁目に編入。
- 北区田幡町の一部(字南蓮花寺・八反田・横枕・円蔵・ハサバ・志賀前・猪ノ木・北原・志賀前角田・釈迦堂・深ノ川・馬出し・浜江場の各一部)が城見通1~3丁目に編入。
- 北区田幡町の一部(字深ノ川・志賀前の各一部)が敷島町に編入。
- 北区田幡町の一部(字前並下ノ町・前並中ノ町・前並上ノ町・塩藪の各一部)が七夕町1~2丁目に編入。
- 北区田幡町の一部(字二反田・乾イ出・御膳田・天神田・前並下ノ町・前並中ノ町・半ノ木・西屋敷・堀田・前並上ノ町・中屋敷・塩藪の各一部)が中富町1~2丁目に編入。
- 北区田幡町の一部(字御膳田・八反田・ハサバ・天神田・南蓮花寺・二反田・乾イ出・西屋敷・森下・堀田・寺裏・北原の各一部)が若園町1~2丁目に編入。
- 1952年(昭和27年)から1982年(昭和57年) - この期間に北区田幡町の一部より七夕町[6]・中富町[7]・若園町[8]・敷島町[9]・黒川本通・柳原・清水・田幡が編成され、北区田幡町の面積を減らしていった。
- 1953年(昭和28年)12月15日 - 北区田幡町の一部(字釈迦堂の一部)が黒川本通1~5丁目に編入[5]。
- 1954年(昭和29年) - 西区田幡町の一部が西区上名古屋町・秩父通・城北町・内江町となる。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 北区田幡町の一部(字円蔵・北蓮花寺・志賀前角田の各一部)が駒止町1~2丁目に編入。また、北区田幡町の一部(字志賀前の一部)が敷島町に編入[5]。
- 1958年(昭和33年)2月1日 - 北区田幡町の一部(字割田の一部)が七夕町1丁目に編入。また、北区田幡町の一部(字四反田・天神田・御膳田の各一部)が中富町1丁目に編入[5]。
- 1980年(昭和55年) - 北区田幡町・金城町・城見通・志賀南通・黒川本通・杉村町の各一部より北区田幡1丁目が成立する。
- 1982年(昭和57年) - 北区田幡の区域が再び変更され、2丁目が編成された。また、この年までに北区田幡町が黒川の部分を残し消滅した。
出来事
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 9]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 10]。
| 区 | 町丁・丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|---|---|
| 北区 | 田幡1丁目 | 全域 | 名古屋市立金城小学校 | 名古屋市立志賀中学校 | 尾張学区 |
| 田幡2丁目 | 全域 | ||||
| 西区 | 田幡町 | 全域 | 名古屋市立上名古屋小学校 | 名古屋市立浄心中学校 |
交通
施設
旧跡
- 田幡城 - 越智右馬允の居城であったという。現存せず。(現金城3丁目、名古屋市立金城小学校敷地)
