白神社
広島市中区中町に鎮座する神社
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祭神
歴史
白神社のある中町一帯がまだ海であった頃、現在神社のある地点は海面から突き出た岩礁であった。そこに衝突する船が後を絶たないため、当時の船人により岩礁上に白い紙がたてられ、海難事故を防止する役目を果たしていた。やがてこの岩礁は三角州の発達や干拓工事などにより徐々に地上に露出しはじめ、海難事故とは無縁になっていくが、船の安全な運航に貢献した白紙に代わる守り神の象徴として祠が建てられた。祠は白紙にちなみ「白神(しらかみ)」と呼ばれ、住民の信仰を集めた。これが建造物として信仰されるようになった始まりだが、その創建時期については記録がなく不詳。
祠は時を経て徐々に規模を拡大していき、天正19年(1591年)9月に広島城を築いた毛利輝元により新しい社殿が建立された。この社殿を城主の氏神、広島城下の総産土神(そううぶすながみ)とし、最盛期には近隣の旧国泰寺に連なる広い境内を持つ神社に発展した。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆投下により爆心地から約600メートルに位置する当神社は、地下に保存していた重要書類を残し建造物は完全に焼失したが、同年10月には祭祀執行のため急造の仮社殿が建てられ、10年後の昭和30年12月に再建された。現在の社殿は昭和63年に再建されたものである[1]。
文化財
(件名後の括弧内は指定の種別と年月日)
- 広島市指定
- 白神社の岩礁(史跡・天然記念物、昭和59年11月28日)[2]
- 旧国泰寺愛宕池(史跡、昭和59年11月28日)
- 岩礁
- 岩礁
- 愛宕池跡
- 境内の被爆クスノキ
