皇代暦
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内容
原本をそのまま引き継いだとされる5巻本によれば、
ただし、6巻本・7巻本も存在し、前者は第4巻を2巻構成に分けたもの、後者は6巻本より更に裏書(後述)部分を抜書きして独立した第7巻としたものである。
各ページ5段構成となっており1段目には天皇の略歴、2段目には皇居及び重要な事件、3段目には上皇・東宮・皇子女・后妃、4・5段目には摂政・関白・大臣・将軍・大将などの要職補任が記されている。なお、第1 - 3巻には、唐土の事歴・僧侶の補任が付記されており、その部分を「裏書」と呼称している。
裏書が付いている第1 - 3巻の3巻が、洞院公賢が書いた最初の形態であり、そのことは彼自身が書いた日記『園太暦』の延文元年(1356年)4月9日条にて、皇代暦の続きを編纂した[2]と記しており、これが第4巻部分であると考えられている。従って、第3巻までは延文以前の作であることが分かる。
公賢の死後もその続きにあたる部分を書いた人物がいたと考えられているが、それを今日の形にしたのは甘露寺親長である。親長が同書を大事にしていた事は、彼の日記である『親長卿記』において、文明8年(1476年)京都で大火があった時に、この本のみを真っ先に抱えて避難したことが書かれていることで知ることが出来る。後にこの事を知った後土御門天皇より書写進上を命じられた親長が現在までの出来事を加筆して献上したのが、原本とされたものであったとされている。