盧文弨の原籍は紹興府余姚県であるが、先祖のときに杭州府仁和県に移住した[1]。1752年に探花の成績で進士に及第した[1]。翰林院編集・侍読学士・湖南学政などを歴任したが、1768年に官を辞し、江浙各地の書院で教えた。
盧文弨は同時代の戴震・段玉裁と交流を持った。多くの書籍を収集・校勘・出版したために、学者に裨益することが大であった。
日本から輸入された山井鼎『七経孟子考文』を読んで驚嘆し[3]、それに刺激されて『十三経注疏』の校勘を行った。盧文弨の没後、阮元はその志をついで『十三経注疏』を重刻し、校勘記を作成した[4]。