矢板

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矢板(やいた)は土留水留などに用いるために加工された板材[1]。木材で作られたものは木矢板鋼材で作られたものは鋼矢板シートパイルコンクリートで作られたものはコンクリート矢板と呼ばれる。

工事現場に積まれた鋼矢板
鋼矢板

概要

「矢板」の名称について宮本武之輔は矢板の名称の由来について木の板を矢羽の形に削り、それを組み合わせて土留や水留として用いたことによるものであろうと思われ、矢板に相当する外国語でも扁平な杭を意味するものであるとしている[1][2]

仮設構造物としては建物の基礎工事や地下室、道路のオープンカットなどで使われ、永久構造物としては岸壁堤防護岸に使われることが多い[3]

基本的には地面に打ち込んで用いるが、硬い地盤の場合は掘削後に矢板を立て裏込め土を充填したうえで倒れないようジャッキで抑える工法も存在する[4]。高さの低いものは自立式と言って打ち込んだ根入れ部分の横方向支持力と矢板の剛性のみで支えることが多いが、高さの高いものは切梁腹起しやタイロッドなどの横方向の支持材を用いて横方向支持力を確保する必要がある[3]

止水の面で優れる鋼矢板は海底などの締切工事でも用いられる[1][5]。鋼矢板を水中に円筒状に組みそこに土砂を入れる鋼矢板セル工法は1908年に考案されて以降、仮締切工や岸壁工事などに使われた[5]。しかし土砂を入れるまでの鋼矢板セルは不安定な構造であったため度々波によって破壊されることがあった[5]。その対策として1974年に陸上や安全な水域で組み立てた鋼矢板セルを運び、一気に打ち込むプレハブ鋼矢板セル工法が開発された[5][3]

木矢板

主に松材で作られた矢板である[6]。軽量で加工が容易である反面、強度や腐食などの問題があるため簡単な土留として用いられることが主であり[6]、永久構造物としては用いられない。横方向に木材または鋼材の支保工を取り付ける[6]。かつては継ぎ手部分を削って嚙み合わせるようにし、密閉性を高めたが密閉性が必要となる土留工において鋼矢板工法が主流となってからは殆ど行われなくなっている[3]

親杭横矢板

「H」型の親杭を打ち込み、掘削しながら親杭間に木製の横矢板を入れて施工する土留である[6]。親杭に噛ませているだけの横矢板に止水性はないため湧水のある場所には適さないほか、掘削しながら親杭の間に横矢板を入れる必要があるため軟弱地盤では用いることが出来ない[6]。止水性がなく湧水処理に難のある一方で矢板に水圧がかからないため鋼矢板と比べて支保工の面で有利である[6]

鋼矢板

鋼矢板の継手部分
鋼矢板の継手部分

シートパイルとも呼ばれる[6]。継手で接続することから水密性に優れ、軟弱地盤でも施工することが出来るが、礫を含む地盤には打ち込むことが出来ない[6]。耐久性の高さから繰り返し用いることもできる[6]

コンクリート矢板

鉄筋コンクリートで作られた矢板である[3]。古くは現場打ちで作られることが殆どであったが、次第にプレキャスト製品が出現している[3]。永久構造物としての耐久性や見た目の良さから護岸などに多く用いられる[3]

アルミ矢板

アルミニウムで作られた矢板である[7]。大まかな構造は鋼矢板と同じだが、手で運べるほどに軽量であることから施工性に優れ、工期短縮に繋がる[7]。一方で経済性では鋼矢板に劣る[7]

歴史

木で作られた最も古くからある形の矢板はローマ時代のはじめから用いられている[1]。成功と失敗を繰り返すことで経験的に培われてきた矢板工法はデンマーク式矢板壁設計法のような経験的公式を生み出し、広く使われた[1]。1890年頃には既に木矢板のほか、鋼矢板やコンクリート矢板のような現在も用いられている矢板の材料が出揃っている[1]。長らく経験に頼ってきた矢板の設計であったが、19世紀末に土圧についての研究が始まると矢板にかかる土圧についても力学的な研究が始まり、1910年にはドイツのH.Kreyが初めて土圧を用いた矢板の設計方法を発表している[1][8]。また、19世紀末まで形鋼を組み合わせて作られており、水密性に欠いたものもあった鋼矢板は19世紀末から20世紀初頭に各地で断面形状の改良が加えられ、概ね現在の鋼矢板の形に近しいものとなった[1][2]

日本

日本でも古くから木矢板が使われており鋼矢板やコンクリート矢板はなかなか普及しなかったが、鋼矢板は1923年(大正12年)の関東大震災の復興工事で復興局が積極的に輸入品を使用したことで広く普及することになる[3][9]。鋼矢板の輸入量は増加の一途をたどったが、昭和恐慌により土木工事が激減したことで輸入量は急落、同時期に官営八幡製鉄所が初の国産鋼矢板を作り始めてからは殆どが国産となった[3]。しかし日中戦争太平洋戦争によって鋼材の節制が奨励されたことで鋼矢板は製造されなくなり、コンクリート矢板などへの転換が行われた[3]。戦後は鋼矢板の製造が再開されたものの、しばらくは鋼材が配給割当制であったことから鋼矢板の使用数は伸び悩み、昭和30年代初頭までは年間3万トンの使用にとどまった[3]。戦中戦後と苦境に立たされた鋼矢板工法であったが、昭和30年代半ばごろから生産量、消費量は急増することとなる[3]1957年(昭和32年)には日本鋼管が、1960年(昭和35年)には富士製鉄が鋼矢板の製造を開始している[3]

木矢板はトンネル掘削工事で使われていたが、1970年代後半には新工法の登場により需要が急減した[10][11]

脚注

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