矢橋
滋賀県草津市の集落地名
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地理
歴史

矢橋湖底遺跡から縄文土器が出土していることから集落の成立は古い。万葉集に詠まれていることから少なくとも古代には港町の機能を持っていたと思われる。かつては「矢走」「矢馳」「八橋」「箭橋」などとも書かれた。中世の現草津市内には志那・山田・矢橋の三港があり、要港警備の拠点として矢橋氏による矢橋城も築かれた(「城前」という小字も存在する)。織田信長が近江を支配するようになると、対岸の坂本への輸送を主力としていた志那・山田が衰退し、一方で東海道の近道として矢橋の重要性が増した[2]。江戸時代には膳所藩領となっている[3]。近世初期には近衛信尹によって矢橋の渡し船の風景が近江八景の一つ「矢橋帰帆」として挙げられ[4]、歌川広重の浮世絵「近江八景」や「伊勢参宮名所図会」(「近江名所図会」にも転載)に描かれるなど、全国的に有名になった。明治時代に入ると琵琶湖交通に蒸気船が登場。さらに鉄道が敷設され物資輸送の主役が陸上交通に移ると矢橋港は衰え、矢橋の町も往時のにぎわいを失った。
昭和時代に入り、琵琶湖沖には琵琶湖総合開発事業で人工島の矢橋帰帆島が建設され下水処理施設やレクリエーション施設が建設された[5]。かつてあった矢橋港は公園になっているが、石積と1846年(弘化3年)に建立された常夜灯が現在も残る[1]。
人口
2,373世帯5,832人が居住(令和2年4月末現在)
周辺施設
教育機関
- 草津市立老上中学校
- 草津市立老上小学校
- 草津市立老上西小学校
- 草津市立老上こども園
- 草津市立矢橋ふたばこども園
文学
文化財
おもな出身者
- 松田宣浩 - プロ野球選手
