石切剣箭神社
大阪府東大阪市にある神社
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祭神
歴史
当社の創建年代は、火災により社殿及び宝庫が悉く消失したため詳らかではないが、代々の社家である木積家の記録『遺書伝来記』には、皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを起源とし、崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる[1]。現在確認できる文献では、日本三代実録(巻十一)に「貞観7年(865年)9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる[1]。
室町時代末期に兵火にかかり、神宮寺であった天台宗法通寺とともに社殿を焼失する[1]。
その後復興したが、宮山の地にあった祭祀の場はいつの頃か現・上之社の場所に遷された。
明治時代になると村社に列せられた。1905年(明治38年)には饒速日尊が現在の本社・本殿に合祀されている。その後も上之社のあった土地は奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の気運が高まると、1932年(昭和7年)に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、1972年(昭和47年)に往古の姿を取り戻した。
当社は太平洋戦争後に神道石切教を設立させ、その総本部となっている。
1975年(昭和50年)には東京都文京区に分祀され、「石切東京分祀」が創建された。
上之社の、さらに奥には「奥宮」があるが、現在は荒廃している(元宮)。
境内
本社
- 本殿(国登録有形文化財) - 1931年(昭和6年)再建。三間社流造。
- 幣殿(国登録有形文化財) - 1931年(昭和6年)再建。
- 拝殿(国登録有形文化財) - 1931年(昭和6年)再建。
- 透塀(国登録有形文化財) - 1931年(昭和6年)頃再建。
- 神輿殿
- 神楽殿
- 禊殿
- 収納殿
- 社務所
- 庭園
- 穂積殿
- 穂積地蔵尊 - 神宮寺であった法通寺の地蔵尊を祀ったもの[2]。
- 菱水会館
- 崇敬会館
- 絵馬殿(国登録有形文化財) - 神門でもある。1960年(昭和35年)再建。
摂末社
- 穂積神霊社 - 1970年(昭和45年)に焼失した穂積堂(石切小学校の前身)に祀られていた御神霊を祀る[2]。
- 一願成霊尊 - 一生に一度だけの願いを叶えて頂けるとされる[2]。
- 乾明神社 - 祭神:應壅乾幸護彦(おうよういぬいこうごのみこと)。應壅乾幸護大明神とされる。この地の代官小堀氏が祀っていた神で、天明7年(1787年)12月に神祇伯白川資延王に勧請が認められ、この地に祀られた[2]。
- 神武社 - 祭神:神武天皇。神武東征の際に神武天皇が哮ヶ峰(現・生駒山)を越えての大和入りは上手くいかなかった。そこで天皇は哮ヶ峰の麓である高庭白庭の丘(現・石切)で、高天原の神々に戦勝を祈願し、かたわらの巨石を高々と蹴り上げて武運を占われたという。その時に天皇が蹴った「蹴上げ石」を御霊代として祀っている[2]。
- 五社明神社 - 祭神:恵比須大神、大国主大神、住吉大神、稲荷大神、八幡大神。
- 水神社 - 祭神:罔象女神(みずはのめのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)。亀の池が有名。
- 絵馬殿からの参道
- 絵馬殿
- 祈り亀
- 千羽鶴納所
- 収納殿と御神火祭場
- 石切寮
- 穂積地蔵尊
上之社
- 上之社拝殿
- 石切登美霊社
- 八代龍王社
- 御滝
- 婦道神社
- 石切劔箭神社上之社址
文化財
年中行事
備考
長髄彦との関係
所在地
- 大阪府東大阪市東石切町1丁目1-1

