石敬威

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石 敬威(せき けいい、生年不詳 - 936年)は、五代十国時代軍人後晋の高祖石敬瑭の従弟にあたる。は奉信[1][2]

経歴

若くして騎射を得意とし、後唐荘宗に仕え、従軍して功があり、軍職を歴任した。天成元年(926年)、明宗が即位すると、奉聖軍指揮使に抜擢された。天成・応順年間におよそ十度軍額を改めた。検校工部尚書に累進し、忠順保義功臣の号を賜った。清泰2年(935年)、兵部尚書・彰聖右第三軍都指揮使を加えられ、常州刺史を遥領した。清泰3年(936年)、石敬瑭が太原府で起兵すると、ときに敬威は洛陽におり、禍が自身に及ぶと察知して、私邸で自殺した。後晋の天福2年(937年)、太傅の位を追贈され、洛陽に葬られた。天福6年(941年)、広王に追封された[1][2]

家族

  • 父:石万詮(贈太尉、追封趙王)[1][3]
  • 弟:石敬贇(字は徳和、曹州節度使)[4][5]
  • 子:石訓(嗣広王、左武衛将軍)[1]

脚注

伝記資料

参考文献

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