石敬暉
From Wikipedia, the free encyclopedia
経歴
剛直で大器を備え、事に臨んで知恵が多かったため、石敬瑭の一族の中ではひとり厚遇された。清泰3年(936年)、張敬達が晋陽県を包囲すると、敬暉は石敬瑭により突騎都将に任じられた。部下を率いて敵の不意を突いて出撃し、深入りして奮戦した。負傷して流血し、矢尻が骨を貫いても、その語気はますます盛んであった。天福2年(937年)、濠州刺史を遥領し、皇城都部署をつとめた。天福4年(939年)、検校司徒を加えられた。曹州防禦使に任じられ、検校太保を加えられた。任にあっては部下を可愛がり、利殖を営まず、舞楽を好まなかった。天福5年(940年)、在官のまま病没し、晋陽県に葬られた。天福8年(943年)、太師の位を追贈され、韓王に追封された[2][3]。