石渡敏一

日本の官僚、政治家 From Wikipedia, the free encyclopedia

石渡 敏一(いしわたり びんいち[注釈 1]1859年12月19日安政6年11月26日[1]) - 1937年昭和12年)11月18日)は、官僚政治家法学博士大審院検事司法次官貴族院勅選議員枢密顧問官法典調査会刑法起草委員。位階・勲等は正三位勲一等[2]江戸(後の東京)出身。石渡荘太郎の父。学校法人日本大学第一学園の創立の功労者。

生年月日 1859年12月19日
安政6年11月26日
出生地 武蔵国江戸
没年月日 1937年昭和12年)11月18日
出身校

慶應義塾

旧東京大学法学部
概要 生年月日, 出生地 ...
石渡 敏一
いしわたり びんいち
石渡敏一
生年月日 1859年12月19日
安政6年11月26日
出生地 武蔵国江戸
没年月日 1937年昭和12年)11月18日
出身校

慶應義塾

旧東京大学法学部
称号 栄典参照
内閣 第1次西園寺内閣
在任期間 1906年1月7日 - 1908年1月4日
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経歴

江戸で幕臣・軍艦役並、石渡栄次郎の長男として生まれる[1]1874年(明治7年)慶應義塾童子局に入り1876年(明治9年)卒業。1879年(明治12年)9月東京大学法学部に入り、1884年(明治17年)7月に同大学英法科を卒業した。同年8月司法省に入省し、記録局翻訳課詰となる[注釈 2]

1886年(明治19年)欧州留学、帰国後東京控訴院検事、大審院検事、1899年(明治32年)ベルギーの万国監獄会議派遣、同年4月に慶應義塾大学部政治科教授(刑法担当)。民事局長、司法次官を経て1906年(明治39年)第1次西園寺内閣内閣書記官長。辞任後、1907年12月10日、貴族院勅選議員に任じられた[3]1912年4月9日、錦鶏間祗候となる[4]。後に東京瓦斯会社社長。1934年(昭和9年)3月に枢密顧問官となり[1]、同年4月6日に貴族院勅選議員を辞任した[5]

1937年(昭和12年)11月18日死去。 病気に際し、御尋として天皇・皇后より葡萄酒を賜ったほか、死去に際して祭資を下賜された。また、同年11月17日の葬送には勅使が邸宅を訪問、幣帛の下賜を受けた[6]。 享年79。墓所は多磨霊園

家族

栄典

位階
勲章等

脚注

参考文献

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