祖沖之 From Wikipedia, the free encyclopedia 祖 沖之(そ ちゅうし、元嘉6年(429年) - 永元2年(500年))は、中国南北朝時代の南朝の天文学者・数学者・発明家。字は文遠。范陽郡遒県(現在の河北省保定市淶水県)の人。曽祖父は東晋の侍中祖台之(中国語版)、祖父は南朝宋の大匠卿祖昌之、父は南朝斉の奉朝請祖朔之、子は南朝梁の太舟卿祖暅之(中国語版)、孫は南朝梁の広陵郡太守祖皓(中国語版)。 佛山科学技術学院の像、(左)祖沖之と(右)孔子 祖父の祖昌之は戦乱を避けるために河北から江南へ移っており、祖沖之は建康で生まれ、若いころから数学の天才として知られた。円周率の計算や大明暦の編纂で知られ、三国時代の魏の劉徽と共に古代中国の最も偉大な数学者の1人に数えられる[1]。 数学 円周率πの値を 3.1415926 と 3.1415927 の間であると推算し[2][3]、その密率を 355/113 と決め、近似値(約率)を 22/7 とした[4]。彼には『綴術(中国語版)』という数学の著作があったことが知られているが、現在に伝わっていない。なお彼の息子、祖暅之(中国語版)(そ こうし、祖暅とも/「こう」は「日+恒」)も数学者であり[5]、半径 r の球の体積が 4 3 π r 3 {\displaystyle {\frac {4}{3}}\pi r^{3}} で求められることを考え出したことで知られている。 暦 また歳差の効果を考慮した新暦、大明暦を作ったが、この暦法は彼の死後、息子の努力によって作成後50年を経て南朝梁の官暦に採用された。 発明 指南車を改良し、千里船・水碓磨などの機械を設計した技術者でもある。また南朝斉では『安辺論』という著作を書き、屯田を勧めている。 脚注 [脚注の使い方] [1]Needham, Volume 3, 85-86. [2]曲安京[著], 城地茂(訳)「祖冲之は,如何に円周率π=355/113を得たか? (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1257巻、京都大学数理解析研究所、2002年4月、163-172頁、hdl:2433/41934、ISSN 1880-2818。 [3]律令期の数学教育 城地茂 『数学史研究』 112号13-21頁の補充 [4]O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Zu Chongzhi”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Zu_Chongzhi/. [5]O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Zu Geng”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Zu_Geng/. 関連項目 円周率の歴史 祖沖之 (小惑星) 中国暦 5世紀生まれの天文学者 外部リンク 祖沖之① 曹增祥 祖沖之伝記。 祖沖之② 曹增祥 祖沖之伝記。 祖沖之設計制造的幾種機械及其復原問題 張柏春 祖沖之 祖沖之の業績の簡単な紹介。 南斉書・列伝第三十三—文学 祖沖之伝が記載されている。 南史・列伝第六十二 祖沖之伝が記載されている。 隋書・志第十一—律暦上 祖沖之の円周率計算の結果が簡単に記されている。 Related Articles