福勝寺
京都市上京区にある真言宗善通寺派の寺院
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歴史
当寺の創建年は不明であるが、空海によって河内国古市郡中村(現・大阪府羽曳野市)に創建されたという。しかし、後に衰退した[1]。
その後、正嘉年間(1257年 - 1259年)に覚済僧正(別名・山本僧正)によって、京都油小路五条坊門に再建され[1]、天文年間(1532年 - 1555年)以前に室町一条の地に移っている。
豊臣秀吉は当寺の歓喜天(聖天)を厚く信仰しており、出陣の度に武運長久を祈願して瓢箪を奉納していた。そして、戦勝の後にはその瓢箪を持ち帰り、多数を繋ぎ合わせて「千成瓢箪」を作り、旗印にしたという。当寺が別名「ひょうたん寺」と呼ばれるのは、この話がもとになっているという[1]。
慶長19年(1614年)から寛永4年(1637年)の間には春日京極の東の地(現・寺町通丸太町下る東側)に移動している[1]。また、歴代の天皇より帰依を受けたが、特に後陽成天皇と後西天皇により勅願寺とされている。後西天皇より「観世音菩薩」の名号と紫宸殿の左近の桜の分木を下賜され、「桜寺」とも呼ばれている[2]。
年中行事として、空海が唐で恵果和上により伝授された如意宝珠と歓喜天の秘法でもって、大寒より7日間行い祈祷された瓢箪を節分会に授与する[2]。
また、当寺の本尊である薬師如来、通称「峰薬師」は、愛知県新城市の鳳来寺の薬師如来と同木同作であり利修仙人の作と伝わっている。鎌倉時代に奈良の東大寺大仏の再建に際し、重源の所有となって共に諸国を遍歴した後、当寺に奉安されたとされる。
境内
- 本堂
- 十三重石塔
- 庫裏
- 山門
前後の札所
所在地
- 京都府京都市上京区出水通千本西入七番町323-1