竽
管楽器
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歴史
「竽」の名は戦国時代の文献にしばしばあらわれている[1][2][3]。『韓非子』には斉の宣王がいつも300人に竽を演奏させたという[4]。
『説文解字』や『周礼』注によると、竽は笙に似ているが、36管であったという[5][6]。しかし、後漢には23管になっていた[7]。馬王堆漢墓から出土した明器の竽は高さ78センチメートルで、竹の管が22本あり、11本ずつ2列に並んでいた。匏の部分は木製だった[8]。漢代の陶俑や画像石にも竽の絵が描かれているものが多い。
宋には、竽笙・巣笙・和笙の3種類の笙があり、すべて19管だったが、竽笙は音が低く和笙は音が高かった[9]。楊蔭瀏の解釈によると、当時の竽笙の音域は嬰い…二点トであった[10]。その後、竽は使われなくなった。
「竽」の漢字を使う四字熟語として、「濫竽充数」(らんうじゅうすう)というものがある。「濫竽」はみだりに竽の笛を吹く、「充数」は員数を揃える意で、この四字熟語は、実力のない者がいかにも才能があるかのように振る舞い、またそれにより能力に見合っていない高い地位を得ることをいう。