内地からの補給品格納のため100km超の地下トンネルを掘った。
豪軍による武装解除後も、第17軍と第18軍に糧食や被服、需品などを合計1000tずつ豪軍の輸送船で送ることができた。
昭和20年12月31日時点の状況
- 総兵力 9万2784名
- 作付面積は 1万9568反
経理部部員だった主計大尉が持ち帰った資料を手に語った、昭和21年1月20日時点の状況
- 精米1845t、陸稲(現地栽培)24t、乾パン1432t、馬600頭
- 正規患者2万8千名、うち入院患者3800名と在隊患者は2万4200名。
- 現地自活人員1万4千名、豪軍使役作業など2万3千名、集団勤務2万8千名[5]