綿竹市
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地理
歴史
古代には蜀山氏の地であったとされる。前漢初期、近くの綿水(現在の沱江支流の綿遠河)の河畔に多くの竹が生えていたことから、綿竹県という名の県が置かれた。後漢末期に益州に入った劉焉が最初に拠点にしたのが綿竹県である。三国時代には諸葛亮の息子諸葛瞻とその息子諸葛尚が綿竹の守りを任され、魏の武将の鄧艾による蜀侵攻に激しく抵抗したが、この地で討ちとられた。西晋および南北朝時代には陽泉県と晋熙県に分かれたが、隋代になり綿竹県が復活した。 以後この地方の中心都市として続き、1996年には綿竹県は廃され綿竹市となり、徳陽市の管轄下の県級市となった。
2025年8月15日、市内で開催されていたビール祭り会場のテントが悪天候のため崩れ、2人が死亡、3人が重傷となる事故が発生した[1]。
行政区画
→「中華人民共和国の行政区分」を参照
経済
教育
- 四川警安職業学院
交通
健康・医療・衛生
- 綿竹市人民医院
- 綿竹市人民医院分院
- 綿竹市漢旺人民医院
