羽前国 From Wikipedia, the free encyclopedia 羽前国(うぜんのくに)は、東北戦争終結直後に出羽国を分割し制定された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は羽後国とあわせて、または単独で羽州(うしゅう)。領域は現在の山形県のうち、飽海郡と酒田市北部(最上川以北)を除いた大部分にあたる。 羽前国の位置 沿革 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点での、出羽国のうち後の羽前国内の支配は以下の通り(1,247村・946,578石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。 村山郡(458村・365,165石余) - 幕府領、旗本領、山形藩、上山藩、天童藩、新庄藩、長瀞藩、羽後松山藩、蝦夷館藩、陸奥棚倉藩、上野館林藩、常陸土浦藩、下総佐倉藩 最上郡(86村・84,250石余) - 新庄藩 置賜郡(294村・336,868石余) - 米沢藩 田川郡(409村・160,294石余) - 鶴岡藩、羽後松山藩 慶応2年6月19日(1866年7月30日) - 棚倉藩が武蔵川越藩に転封。棚倉藩には陸奥白河藩が転封。 慶応4年 2月1日(1868年2月23日) - 棚倉藩が白河藩に転封(実行されず)。 9月29日(1868年11月13日) - 戊辰戦争後の処分により、幕府領・鶴岡藩領が酒田民政局の管轄となる。 明治元年 12月7日(1869年1月19日) - 出羽国が分割され、上記4郡が羽前国の所属となる。 12月15日(1869年1月27日) - 鶴岡藩・松山藩が減封。鶴岡藩は会津藩に転封(実行されず)。 12月18日(1869年1月30日) - 戊辰戦争後の処分により天童藩が減封。領地の一部が酒田民政局の管轄となる[注釈 1]。 12月22日(1869年2月3日) - 戊辰戦争後の処分により上山藩が減封。領地の一部が酒田民政局の管轄となる。 12月24日(1869年2月5日) - 白河藩が棚倉藩に転封(現状に即した形となる)。このときの減封により国内の領地が酒田民政局の管轄となる。 明治2年 6月22日(1869年7月30日) 鶴岡藩が磐城平藩に転封(実行されず)。 松山藩が改称して松嶺藩となる。 7月25日(1869年9月1日) - 鶴岡藩が鶴岡に復帰。 7月26日(1869年9月2日) - 酒田民政局の管轄区域に酒田県(第1次)が発足。 9月13日(1869年10月17日) - 鶴岡藩が改称して大泉藩となる。 11月11日(1869年12月13日) - 長瀞藩が藩庁を移転して上総大網藩となり、それにともなう領地替えで国内の領地が酒田県(第1次)の管轄となる。 明治3年 田川郡勝浦村・浦村・法木村(いずれも飛島)の所属が羽後国飽海郡に変更。酒田県(第1次)の管轄となる[1]。 7月17日(1870年8月13日) - 山形藩が近江朝日山藩に転封。国内の領地が酒田県(第1次)の管轄となる。 9月28日(1870年10月17日) - 酒田県(第1次)が県庁移転・改称して山形県となり、館藩・館林藩・土浦藩・佐倉藩の領地も管轄[注釈 2]。 明治4年 7月14日(1871年8月19日) - 廃藩置県により藩領が大泉県、松嶺県、上山県、天童県、新庄県、米沢県となる。 11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により田川郡が酒田県(第2次)、村山郡・最上郡が山形県、置賜郡が置賜県の管轄となる。 明治8年(1875年)8月31日 - 酒田県(第2次)が県庁移転・改称して鶴岡県となる。 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により全域が山形県の管轄となる。 地域 郡 以下の四郡で構成された。 田川郡 村山郡 最上郡 置賜郡 人口 明治5年(1872年)の調査では、人口56万0984人を数えた。 脚注 注釈 [脚注の使い方] [1]「旧領旧高取調帳」では天童藩領の全域が天童県の管轄となっており、減封の対象となった村の詳細は不明。 [2]「旧領旧高取調帳」では佐倉県・館林県・館県・土浦県の管轄となっているが、誤記とみられる。 出典 [1]羽前國飛島管轄替関係絵図(国立公文書館デジタルアーカイブ) 参考文献 角川日本地名大辞典 6 山形県 旧高旧領取調帳データベース 関連項目 ウィキメディア・コモンズには、羽前国に関連するカテゴリがあります。 令制国一覧 Related Articles