菊名
横浜市港北区の町
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地理
かつては「葛名」という名前であったが[6]、菊が咲く地であったことから、名菊と改名した。しかし「嘆く」に語感が似ているため、菊名となった。
櫻井澄夫は、キクナは、ククナであり、谷戸の形状を表す(「ナ」は地名語尾にみられる「場所」を表す語)としている(『横浜の町名』初版)。
面積
面積は以下の通りである[2]。
| 丁目 | 面積(km²) |
|---|---|
| 菊名一丁目 | 0.090 |
| 菊名二丁目 | 0.174 |
| 菊名三丁目 | 0.186 |
| 菊名四丁目 | 0.136 |
| 菊名五丁目 | 0.180 |
| 菊名六丁目 | 0.140 |
| 菊名七丁目 | 0.142 |
| 計 | 1.048 |
地価
住宅地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によると、菊名2-10-9の地点で39万2000円/m²[7]、菊名6-26-4の地点で38万7000円/m²[8]となっている。
歴史
沿革
江戸時代までは武蔵国橘樹郡菊名村と称していた[6]。1868年(明治元年)に神奈川府が設置されると同府の所属となり(同年に神奈川県と改称)、1871年(明治3年)の廃藩置県後も引き続き神奈川県に所属した。1873年(明治5年)5月には第3区6番組に編入され、1874年(明治6年)6月大区小区制に基づき神奈川県第3大区5小区となるが、1878年(明治10年)6月1日郡区町村編制法に基づき神奈川県橘樹郡菊名村となり、1889年(明治22年)4月1日町村制の施行(いわゆる「明治の大合併」)で神奈川県橘樹郡大綱村大字菊名となる。
1926年(大正15年)2月14日、東京横浜電鉄(現在の東急東横線)が開業し、菊名駅が設置される。同年9月1日には既に開通し村内を通過していた省線(現在のJR)横浜線も東横線との交差箇所に菊名駅を設置し、乗換駅となり以降交通の要所となる。また東横線開業に合わせ、駅周囲が東京横浜電鉄の手により開発分譲された。
1927年(昭和2年)4月1日大綱村は横浜市に編入され、大字菊名を廃して菊名町を設置。10月1日横浜市の区制施行に伴い神奈川区に編入される。1939年(昭和14年)4月1日、行政区の再編で港北区に編入される[9]。港北区分区の際の名称の候補の1つとして菊名区があった。1942年(昭和17年)1月、港北区役所が篠原町2148番地より菊名町780番地に移転し、区の中心部となる。1944年(昭和19年)11月16日、土地区画整理により篠原町との境界を変更する[10]。
1951年(昭和26年)、港北消防署開所。1960年(昭和35年)、港北郵便局開局。1963年(昭和38年)10月16日に一部を神奈川区松見町に編入(現在の神奈川区松見町二丁目から四丁目の各一部)、神奈川区西寺尾町字内路の一部を菊名町に編入[11]。1970年(昭和45年)6月1日、篠原町の一部の住居表示実施に伴い、篠原町の一部を編入する[12]。1971年(昭和46年)7月5日、篠原町の一部の住居表示実施に伴い、菊名町の一部を富士塚一丁目、富士塚二丁目、錦が丘に編入する[12]。1974年(昭和49年)8月19日、鶴見区北寺尾町、馬場町の住所表示実施に伴い、北寺尾町と馬場町の一部を菊名町に編入する[13]。
1978年(昭和53年)に区役所は大豆戸町に移転したため、庁舎跡を改装して1980年(昭和55年)に港北図書館を開館。
1980年(昭和55年)7月28日、住居表示実施[14]に伴い、菊名町が廃され新たに菊名一丁目から七丁目の七町を設置し、残部を篠原東一丁目、太尾町、大豆戸町に編入[15]。
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
|---|---|---|
| 菊名一丁目 | 1980年(昭和55年)7月28日 | 菊名町字籠久保の東横線以西 |
| 菊名二丁目 | 菊名町字籠久保の東横線以東の南部 | |
| 菊名三丁目 | 菊名町字籠久保の東横線以東の北部および字宮谷の横浜線以南 | |
| 菊名四丁目 | 菊名町字宮谷の横浜線以北綱島街道以南 | |
| 菊名五丁目 | 菊名町字宮谷の綱島街道以北、大豆戸町の一部 | |
| 菊名六丁目 | 菊名町字和田前・宮狩・屋際の東横線以東、大豆戸町の一部 | |
| 菊名七丁目 | 菊名町字和田前・宮狩・屋際の東横線以西および大豆戸町字下土腐の一部 |
