萩中美枝
アイヌ文化研究家
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来歴
北海道様似郡様似村に麹製造業・萩中与三治の長女として生まれる。庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)を卒業し、郷里の国民学校で2年間、助教諭として勤務する。1948年(昭和23年)の夏、様似町の友人の家で知里真志保を紹介され、いっしょにアポイ岳に登る。知里は萩中をアイヌ語やアイヌ文化の研究に導いた。
1956年(昭和31年)8月に、北海道大学文学部に勤務していた知里から求婚され[1]、同年秋に結婚[2][3]。自身は再婚(知里は再々婚)で、前夫は知里の弟子[4]。
1961年(昭和36年)の3月に、知里は監修を引き受けていたNHKによる「アイヌ伝統音楽」収集事業のスタッフとして萩中を推薦し[5]、同年春からNHK放送センターの嘱託としてNHK札幌放送局資料室に勤務した。4月から斗南病院に入院した知里に付き添い1961年6月9日に知里が死去するまで献身的な看護をつとめた[6]。北海道大学文学部嘱託として知里の遺品となったノートの整理にあたる。
その後、旭川市立博物館専門職員、北海道教育委員会嘱託を務める。その間、札幌学院大学・札幌大学・東海大学・北星学園大学・北海道教育大学などで非常勤講師として教鞭を執っている。日本口承文芸学会、北海道文化財保護協会の各理事を務めた[7]。
2021年4月4日死去[8]。