藤枝宿
東海道五十三次の22番目の宿場
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概要

歴代の城主が江戸幕府の要職を務めた田中城の城下町として、また塩の産地であった相良に至る田沼街道への分岐点として、最盛期には旅籠が37軒あり、商業地としても栄えた。
明治時代に入り東海道本線が建設される際、当初は宇津ノ谷峠 - 藤枝宿 - 島田宿というルートとなる予定であったが、地形が険しい上に遠回りになることから大崩海岸 - 藤枝宿 - 島田宿へと変更され、最終的には大崩 - 焼津 - 島田宿がルートとして選ばれることになった[1]。このため、1889年(明治22年)に開業した藤枝駅は宿場町から3キロメートルほど離れた位置に設けられた。なお、これに関して蒸気機関車の煙や火の粉を心配した住民が線路の建設を拒んだ(鉄道忌避伝説)という俗説があるが、当時の新聞記事や県知事への上申書には藤枝宿で積極的な誘致運動があったということしか記録されておらず、反対運動があったという証拠はまったく発見されていない[2]。
駅が設置されなかったことで宿場町や商業地として停滞を余儀なくされたため、1913年(大正2年)、藤相鉄道が旧宿場町に通じ、藤枝本町駅、大手駅等が設けられたが1964年(昭和39年)に廃止された。
このように、軌道交通には恵まれなかったものの、モータリゼーションにより藤枝バイパス等が整備され、静岡市のベッドタウンとなっている。
