衣ケ原
愛知県豊田市の地名
From Wikipedia, the free encyclopedia
地理
学区
河川
- 逢妻男川
歴史
町名の由来
人口の変遷
国勢調査による人口および世帯数の推移。
| 1995年(平成7年)[WEB 6] | 86世帯 116人 | |
| 2000年(平成12年)[WEB 7] | 71世帯 99人 | |
| 2005年(平成17年)[WEB 8] | 20世帯 42人 | |
| 2010年(平成22年)[WEB 9] | 26世帯 55人 | |
| 2015年(平成27年)[WEB 10] | 16世帯 41人 | |
| 2020年(令和2年)[WEB 2] | 31世帯 50人 |
沿革
衣ケ原はもともと赤土の台地の雑木林であった[1]。1930年に、八事の起業家熊崎惣二郎(朗)が衣ケ原の山林11万坪を買収し、1935年に逓信省の許可を得て、翌1936年に民間飛行場として衣ケ原飛行場を完成させた。1937年には寄付金により挙母町町有飛行機としてアブロ式2型複葉機・挙母号が購入され、衣ケ原飛行場において利用されるようになる。その後、大日本帝国海軍から払い下げられた三式陸上初歩練習機が2代目挙母号として利用された[2][1]。
やがて太平洋戦争が進むと、陸軍航空本部から要請を受けたトヨタ自動車工業が、川崎航空機工業と合弁で官設民営の東海飛行機(のちの愛知工業、アイシン)を設立し、衣ケ原飛行場やその北側隣接地に、エンジン製作のための鋳物工場として東海飛行機挙母工場が1944年に建設された[1][3][1]。しかし、この東海飛行機挙母工場は、同年昭和東南海地震や名古屋大空襲で被害を受けた三菱重工業名古屋発動機製作所の工場疎開のため、三菱重工業名古屋発動機製作所第22製作所として転用され、そのまま日本の降伏を迎えた[1][3]。
東海飛行機挙母工場の跡地は、官設民営方式で国が東海飛行機のために買収したものだったため、第二次世界大戦後も、国有地のままとなっており、一部が農地として利用されていた。その後、1954年に挙母市が工場誘致奨励条例を制定すると、市の仲介で払い下げや買収により、跡地をトヨタ自動車工業が工業用地として取得。トヨタ自動車工業挙母工場の北西約2.5kmに位置し、名鉄三河線土橋駅からの引き込み線や東海飛行機の工作物が残っていたことなどから、トヨタ自動車工業元町工場が建設され、1959年に竣工。それに合わせ周辺には関連企業の工場や、住宅が整備されるようになった[4][5]。
交通
施設
- トヨタ自動車元町工場(一部)
- 共和産業株式会社 本社・豊田工場
- 菱栄工機株式会社 本社
- 新明工業株式会社 本社・本社工場
- 株式会社岡田製作所 本社
- フルハシEPO株式会社 愛知第六工場