覚猷
1053-1140, 平安時代後期の天台僧
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経歴
人物像・戯画

覚猷の画は、ユーモアと風刺精神に富んでおり、戯画と呼ばれる。嗚呼絵(おこえ)と呼ばれることもある[1]。遺言の逸話が示すように、覚猷自身、笑いのセンスに長けた人物のようであり、『宇治拾遺物語』にも覚猷のいたずら好きで無邪気な人柄が描かれている。『古今著聞集』では、弟子である侍法師の絵を道理に合わないと非難するが、侍法師は「おそくづの絵」(春画)は誇張しなければ面白くないという例を出して反論し、覚猷は逆にやり込められてしまったという逸話が載っている。
また、覚猷は仏教界の要職を歴任しながら、当時の仏教界と政治のあり方に批判的な眼を持っていたともされている。『古事談』には、弟子から遺産分与に関する遺言を求められた覚猷が、「遺産の処分は腕力で決めるべし」と書き遺したという逸話が記されているが、これについて穂積陳重は「けだし僧正が衆弟子の出家たる本分を忘れて、貨財の末に
国宝『鳥獣人物戯画』(鳥獣戯画)、『放屁合戦』、『陽物くらべ』などが伝鳥羽僧正作とされている。いずれも一見単純な明るい笑いの画のようでありながら、深い批判精神を含む作品群であり、鳥羽僧正の作に擬せられている。実のところ、美術史学上、覚猷をこれらの絵画の作者とする確証はないとされているが、これらの絵画は覚猷の画風をよく表しているともいわれている。
