許浚
李氏朝鮮の医師
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
父の許碖(ホ・ロン、허론)と母の霊光金氏のあいだに庶子として生まれた。出生地は諸説あって定かではない。父と祖父の許琨(ホ・ゴン、허곤)はともに武官であった。
宣祖のとき、医科を受験して内医院に入り(雑科を受験せず推薦で内医院に入ったとする説もある)、王室の病気治療で功を立てた。
1592年、壬辰倭乱(文禄の役)が勃発すると、御医(王の主治医)として義州にいたる逃避行に追従し、1604年、忠勤貞亮扈聖功臣3等の論功を受け、1606年には、陽平君(ヤンピョングン)に封じられた。
1608年、宣祖の死の責任を取り、流刑に処されたが、翌年には光海君によって呼び戻された。
1610年、朝鮮第一の医書として名高い『東医宝鑑』を完成させる。著書は他に『辟疫神方』『新纂辟瘟方』『諺解救急方』『諺解痘瘡集要』『諺解胎産集要』『脈訣集成』『纂図方論脈訣集成』などがある。
墓地
経歴
- 1571年、内医院僉正(ネイウォンチョムジョン/내의원첨정 従四品相当)に任官。
- 1573年、通訓大夫(トンフンデブ/통훈대부 正三品堂下相当)に昇叙し、内医院正(ネイウォンジョン/내의원정 正三品堂下相当)に転任。
- 1587年、国王より鹿皮を賜う。
- 1590年、通政大夫(トンジョンデブ/통정대부 正三品堂上相当)に昇叙。
- 1596年、正憲大夫(チョンホンデブ/정헌대부 正二品相当)に昇叙し、知中枢府事(チジュンチュブサ/지중추부사 正二品相当)に転任。
- 1600年、内医院御医(ネイウォンオイ/내의원어의 正三品堂上相当)に遷任。
- 1604年6月24日、三等功臣である忠勤貞亮扈聖功臣(チュングンジョンニャンホソンゴンシン/충근정량호성공신)に遇せられ、陽平君(ヤンピョングン/양평군)に封ぜられる。
- 1608年3月、解任の上、配流に処せられる。
- 1609年11月22日、赦免により、内医院に復帰。
- 1610年8月6日、編纂してきた東医宝鑑(トンイボガム/동의보감)が完成。
- 1615年8月17日、逝去。11月、輔国崇禄大夫(ポグクスンノクテブ/보국숭록대부 正一品相当)を贈位され、新たに、陽平府院君(ヤンピョンブウォングン/양평부원군)に封ぜられる。
小説・ドラマ
→詳細は「ホジュン 宮廷医官への道」を参照
1976年、李恩成(イ・ウンソン、이은성)が許浚の生涯を題材としてシナリオを書いたMBC(韓国文化放送)の連続ドラマ『執念』、それを元にした李恩成による1990年の小説『小説 東医宝鑑』、さらに李恩成没後の1999年にそれをドラマ化した『ホジュン 宮廷医官への道』が存在する。2013年3月より、1999年放送のドラマをリメイクした『ホジュン〜伝説の心医〜』の放送が開始された。
演じた人
- キム・ムセン『執念(ドラマ版)』(1975年)
- イ・スンジェ『執念(映画版)』(1976年)
- ソ・インソク『東医宝鑑』(1990年)
- チョン・グァンリョル『ホジュン 宮廷医官への道』(1999年)
- キム・ジュヒョク『ホジュン〜伝説の心医〜』(2013年)
- パク・ヨンギュ『星から来たあなた』(2013年)
- ユン・シユン『魔女宝鑑 〜ホジュン、若き日の恋〜』(2016年)
- オム・ヒョソプ『医心伝心〜脈あり!恋あり?〜』(2017年)
関連項目
参考文献
- 金素天「韓国史のなかの100人」明石書店 2002年 ISBN 4-7503-1607-5
