市民社会

市民階級が封建的な身分制度や土地制度を打倒して実現した、民主的・資本主義的社会 From Wikipedia, the free encyclopedia

市民社会(しみんしゃかい、英: civil society 独: bürgerliche Gesellschaft 仏: société civile, société bourgeoise[1])または資本主義社会(しほんしゅぎしゃかい)、近代社会(きんだいしゃかい)、ブルジョア社会(ブルジョアしゃかい)[2][3]とは、ブルジョワジー(市民とも訳される)が封建的な身分制度土地制度を打倒して実現した、民主的・資本主義的社会[4][5]

資本家知識人らの市民階級が絶対君主制封建制を打破し、基本的人権を確保したことで市民社会は成立した[5]。政治的には民主主義に、経済的には資本主義に基づく社会だとされる[5]

日本語における翻訳語として

市民社会という言葉は本来、「ブルジョア革命 (市民革命)によって成立した社会」を意味する[5]

ブルジョワ革命の訳語としての「市民革命」は第二次世界大戦以前または最中にマルクス主義用語であるブルジョワジーが忌避されて「市民」と言い換えられたことに由来する[6]。フランス語や英語ではmodern revoluution(近代革命)やブルジョワ革命の用語が用いられ、「市民革命 (Citizen Revolution)」に相当する歴史用語は存在しない[6][7][注 1]

福沢諭吉は『西洋事情』(1866-70年)及び『文明論之概略』(明治8年=1875年)において日本で最初に翻訳語として「市民」の言葉を使ったが、『西洋事情外編』では中世ヨーロッパ自由都市であるmunicipalityを「市民会同」として翻訳した[8]。現在はmunicipalityは基礎自治体地方自治体などと訳される。

明治39年(1906年)の『社会主義研究』第1号での幸徳秋水堺利彦訳『共産党宣言』で、bourgeoisは「紳士」、proletarianは「平民」 、modern bourgeois societyは「近代の紳士社会」と訳され、訳者注でBourgeoisの訳語として富豪、豪族、資本家、市民との候補があったという[9]。『共産党宣言』翻訳で堺らが「市民」を使用したのは、中世ヨーロッ パの都市のburgher(ドイツ語:Bürger)に対してであった[9]

大正8年(1919年)に雑誌『改造』に掲戟された『共産党宣言』第3章訳「社会主義者の社会主義評」(訳者不明)で「近代の市民的社会」と訳された[10][9]

大正9年(1920年)に櫛田民蔵の『共産党宣言』第3章の邦訳「社会主義及び共産主義文書(社会主義者の社会主義評)」では「資本家社会」と訳された[11][9]

大正10年 (1921年)の堺利彦新訳「共産党宣言」で「ブルジョア社会」に訳された[9]

1923年(大正12)の佐野学訳「マルクス「経済学批判」」で「市民社会」が使われ、これが初めての例である[7]。ただし、これまでに記してきたように、同書以前にも「市民的社会」など類似する訳語が登場していた。

大正14年(1925年)の久留間鮫造によるマルクス「ユダヤ人問題によせて」の邦訳「ユダヤ人問題」で「市民的社会」と訳された[12][9]

昭和6年(1931年)の速水敬二、岡田隆平共訳『ヘーゲル法の哲学綱要』(鐵塔書院)で burgerliche Gesellschaft が「市民社会」と訳された[9]

「市民社会」という訳語は、「市民階級」「市民革命」「市民法」「市民的自由」等と共に、第二次大戦後から有力になった[1]

歴史上の市民社会

古代ギリシアローマにおける市民共同体と、その伝統上にある市民革命後の近代市民社会を指すだけでなく、国家権力から統制を受けない「公共空間」を指す場合もあり、マルクス主義の立場からは、階級対立を前提として有産階級が支配する社会としてこの語が用いられる。

古代の市民共同体と近代市民社会

西洋古代における市民共同体としては、古代アテネやローマが例として挙げられる。この時代の「市民」とは、重装歩兵としてポリスの防衛にあたり市政に参加するような市民権保有者・自由民を指しており、決して都市の全構成員を指していたわけではなかった。中世の身分制社会においては、各人が権利において対等であることはなく、こうした市民共同体の伝統は失われていた。

市民共同体の復活は、イギリス・フランスにおいては市民革命の成功によって成される。イギリス革命においては中世以来の身分制議会が存続するなど過去の伝統社会も尊重されたが、フランス革命ではアンシャン・レジームを否定し、旧来の身分制社会を完全に解体して人権宣言を掲げた。そのため、フランスのほうがより理念が純化した形で市民社会を築き上げた。すなわち、自由かつ権利において対等な市民の結合という形態により合致する。この新たに形成された市民共同体が国家と結びついて国民共同体が形成された。イギリス、アメリカ、フランスにおける近代市民社会の成立は、同時に国民国家の成立を意味した[6]

近代市民社会においては、個人の自由が保障されることが、その成立の要件となる。すなわち、各個人(市民)が自らの政治的主張・宗教的立場などを他から強制されないことや、各個人が自らの財産を自由に処分でき(私有財産制)、商活動の自由が保障(ギルド廃止など)されていることなどが求められる。イギリス・フランスでは市民革命を通じて市民が政治の主導権を握ったため、これらのことを政府が保障することになった。

また、20世紀前半の思想家アントニオ・グラムシによれば、既にメディア・学校・教会など日常の至る所に国家権力は分散して浸透しており、このことが市民社会を抑圧するとされる。そのため、これに対抗しうる自発的な市民団体の運動をネットワーク化することで、「公共性」・「公共空間」を取り戻そうとする動きもみられる。

冷戦以後の動向

ファシズムも、冷戦下における東欧の共産党政権も、国家と党が社会のあらゆる領域にまで干渉して支配・統制するという点では同様であった。(どちらの体制も国家が個人を否定して、政治・経済・社会を完全に統制下におく全体主義へと至る可能性があった。)この点で、上述のグラムシの見解は先見的であったといえる。こうした状況下で市民的自由を確保するためには、従来の共産党・労働組合を主体にした一極型の運動ではなく、日常にまで官僚制やマスメディアを通じて干渉をはかる国家権力に対して、市民の日常生活にかかわる諸団体がネットワークを結んで多極的な抵抗運動を展開すべきだという考えが形成されていった。とりわけ、共産党が市民を抑圧した東欧において、1989年に共産党独裁政権があいついで崩壊した(東欧革命)ことと、その際に市民諸団体が活躍したことは、こうした議論を活性化させていった。またこうした市民社会の復活は、国境を越えたネットワークとなり、その総称であるグローバル市民社会(GCS)の概念が注目されている[13]ユーゴスラビア空爆などの人道的危機に際して、GCSは人道支援も行っているとカルド―(Mary Kaldor)は指摘する。

脚注

参照文献

関連項目

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