合従連衡
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概要
合従
戦国七雄のうち、巨大な秦以外の六国が縦(たて、従)に同盟し、共同戦線で秦に対抗しようというのが合従説である。
その最大規模のものが縦横家の蘇秦によるもので、史記によると彼は鬼谷に師事した後に母国に帰ったときすっかり貧乏であったため、兄の嫁や妻からさえ馬鹿にされた。このため、一念発起してこれに取り組んだという。彼はまず燕の文公に各国をとりまとめて秦に対することを説き、承諾を得ると趙・韓・魏・斉・楚と各国を言葉巧みに説き伏せ、六国の合従を成立させたとされる[注 1]。このとき蘇秦は同盟の総長[注 2]となり、六国の宰相をも兼ねた。蘇秦の後はその弟の蘇代などによって継承された。
秦以外の2か国のみの場合も合従と呼び、屈原は、楚の国内で斉との合従を唱える合従派であったことが知られている(彼は反秦派として『史記』に記述されている)。食客の毛遂が、趙の平原君の使者として、楚に赴き、楚の頃襄王と合従した様子については平原君列伝に記載されている。