道澄

1544-1608, 戦国時代の僧侶。京都聖護院門跡。近衛稙家の子。照高院、浄満寺宮と号した。 From Wikipedia, the free encyclopedia

道澄(どうちょう、天文13年(1544年) - 慶長13年6月28日1608年8月8日[1])は、戦国時代の僧侶。京都聖護院門跡関白太政大臣近衛稙家の子。照高院、浄満寺宮と号した。

叔父の聖護院門跡道増に付いて得度し、園城寺長吏熊野三山検校大僧正准三后を歴任。永禄3年(1560年)、長尾景虎(上杉謙信)との約束に従って越後へ下向、翌年の景虎の関東出兵にも同道している。その後は織田信長豊臣秀吉と親交を持ち、また和歌や連歌に通じた。文禄4年(1595年)9月には方広寺京の大仏)の住持として移徙している[2]照高院を開基した[3]

慶長4年(1599年)3月からは前年まで闕所処分にあった園城寺の金堂再建を主導している[2]

脚注

参考文献

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