野並

名古屋市天白区の地名 From Wikipedia, the free encyclopedia

野並(のなみ)は、愛知県名古屋市天白区の地名。現行行政地名は野並一丁目から野並四丁目と天白町大字野並。住居表示未実施[WEB 5]。天白町大字野並には22の小字が設置されている[WEB 6]

概要 野並, 国 ...
野並
野並交差点(2021年(令和3年)7月)
野並交差点
2021年令和3年)7月)
野並の位置(愛知県内)
野並
野並
野並の位置
野並の位置(名古屋市内)
野並
野並
野並 (名古屋市)
北緯35度6分24.19秒 東経136度57分19.07秒
日本の旗 日本
都道府県 愛知県の旗 愛知県
市町村 名古屋市
天白区
町名制定[1] 1974年昭和49年)11月15日
面積
  合計 0.594060217 km2
人口
2019年平成31年)1月1日現在)[WEB 2]
  合計 5,047人
  密度 8,500人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
468-0045[WEB 3]
市外局番 052 (名古屋MA)[WEB 4]
ナンバープレート 名古屋
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地理

野並一丁目から四丁目は、名古屋市天白区西南部に位置し[2]、東は天白町大字野並、西は中坪町井の森町、南は古川町および緑区古鳴海一丁目・鳴子町、北は福池二丁目に接する。

天白町大字野並は、主に相生山緑地とその周辺に残存する。東に境根町久方、西に福池・笹原町・野並、南に相川・野並、北に菅田が接する。

名古屋市営地下鉄桜通線野並駅から西へ徒歩で約5分程度で天白川、野並地区東側には里山風景が残り、ヒメボタル等が観察できる相生山が広がり自然が多く残る地区である。

字一覧

天白町大字野並の小字は以下の通り[WEB 7][WEB 8]。消滅した字については背景色    で示す。

さらに見る 字 ...
相生(あいおい)安土(あんど)
伊勢ヶ瀬(いせがせ)稲田(いなだ)
井ノ森(いのもり)上野(うえの)
梅野(うめの)大塚(おおつか)
欠ノ上(かけのうえ)[注釈 1]上大塚(かみおおつか)
上楠木(かみくすのき)[注釈 2]上新田(かみしんでん)[注釈 3]
上納屋田(かみなやだ)[注釈 4]川原(かわはら)[注釈 5]
北沢(きたざわ)[注釈 6]楠木(くすのき)[注釈 7]
北前(きたまえ)北井堀(きたいぼり)
高下(こうげ)[注釈 8]神戸(ごうど)
境根(さかいね)桜井(さくらい)
笹原(ささはら)塩辛田(しおからた)
砂間(すなま)中坪(なかつぼ)
中納屋田(なかなやだ)[注釈 9]西納屋田(にしなやだ)[注釈 10]
八月田(はちがつでん)[注釈 11]花ノ木(はなのき)
福池(ふくいけ)古川(ふるかわ)
南前(みなみまえ)山ノ神(やまのかみ)[注釈 12]
山屋敷(やまやしき)
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河川

山地

歴史

北沢・山ノ神・欠ノ上地区では旧石器時代から縄文時代遺跡が確認され、ナイフ型石器・尖頭器石鏃打製石斧などが1986年昭和61年)の調査で出土した[WEB 9]。梅野古墳群は野並三丁目から四丁目あたりに三基あったとされる6世紀古墳群で、須恵器片などが出土している[WEB 9]

町名の由来

江戸期愛知郡野並村を前身とする。『尾張国地名考』に「鳴海野に並ぶゆへに野並といふなり」とあり、鳴海野とは鳴海潟(年魚市潟の一部)の野原という意味であるとされている[WEB 10]

「野並」という地名は室町期から確認でき、1397年応永4年)付『尾張国在庁等注進状』に「野並 混八事迫一対御知行之」とあるのが初出。

中世

中世の野並は国衙領で、「野並保」というが成立していたことが知られる。

1560年永禄3年)千秋季忠は、織田信長に従って桶狭間の戦いに出陣し討死するものの、信長は季忠の妻の胎内にあった千秋季信に14年後の1574年天正2年)に引見し、刀一振りとともに野並村を領地として与えた。この時、織田信長から「千秋家は大宮司職という高貴な職につきながらも3代に渡り戦死してしまい、血脈が絶えるおそれがある。今後は軍事に携わらず神職を全うせよ」と言われ、これ以降は神職に専念し、血脈絶えることなく今もなお野並地区に千秋家の末裔は住んでいる[WEB 11]。なお、千秋家は、源頼朝の祖父にあたる藤原季範よりはじまる一族である。

江戸幕末までは熱田神宮領であり、大宮司を代々務めてきた「藤原千秋家」の墓所もある[WEB 12]

近世

1728年享保13年)野並地区の南方で天白川の氾濫が度々起き、田畑が流され尾張藩への年貢が納まらないこともあったため、野並の笹原町あたりで西流させ山崎川へ合流させる工事が行われた。しかし、今度は山崎川での氾濫が14年間で17回も起きたことから、1741年元文6年/寛保元年)に元の川筋に戻された[WEB 13]。天白川が山崎川に合流していた14年間にできた新田を「天白古川新田」と言われ、現在の野並地区にその名残の古川町という町名がある[WEB 14]

山崎川 上ニテ川名川ト云、是ハ末森村猫洞七ツ釜大藪池ノ水落来レリ、下ハ紀左衛門新田道徳新田ノ間ニテ海ヘ落ツ。山崎橋長十二間幅三間アリ、大道奉行修造ヲ掌ル。享保十三戊申年、天白川ヲ此山崎川ヘ一旦瀬違有之シカ、十四年ノ間ニ天白川十七度決壊シ、処々砂入ナリシニヨリ、元文六酉年天白川元川ヘモトリ山崎川如今ナレリ。郡村徇行記

他にも小字地名として残る『欠ノ上』は、天白川の洪水で削り取られた上の土地の意。また、旧地名の『砂間(中坪町あたり)』は、氾濫時に砂が溜まった場所など、天白川が古くから暴れ川だった事がうかがえる。また『塩辛田(福池2丁目)』は年魚市潟の中、海水に浸り、田園になった後も塩分を多く含んでいたが故。また野並三丁目あたりは『神戸』と呼ばれ、その意味は湾になっており、船着場として利用し、鎌倉街道の海路として松巨島に渡っていた[WEB 15]

行政区画の変遷

天白町大字野並

野並一丁目から四丁目

  • 1974年(昭和49年)11月15日 - 昭和区天白町大字野並の一部により、同区野並一丁目から同四丁目が成立[1]
  • 1975年(昭和50年)2月1日 - 天白区成立に伴い、同区所属となる[1]
  • 1978年(昭和53年)9月23日 - 天白町大字野並および緑区鳴海町の各一部を野並三丁目へ編入[1]

出来事

野並の梅と聖松

尾張名所図会・野並乃梅(幕末刊)
梅林(手前)と聖松(奥)

天白区野並四丁目、野並三丁目、鳴海町、古鳴海、相川付近はかつて、上野山(鳴海丘陵)と呼ばれ、一帯が梅林であった。その梅林の頂上に大きな奇異な形をした松があり聖松とされた。

江戸時代東海道が整備されるまでは、京都〜鎌倉を結ぶ道は鎌倉街道と呼ばれ、陸上ルートは天白区島田〜天白区野並であった。それに対し、海上ルートは松巨島(現在の南区鳥栖町付近)〜古鳴海(現在の天白区野並三丁目・緑区古鳴海にあった船着場)を渡っていた[WEB 21]。その際、笠寺台地松巨島方面から野並方面に海上から渡る目印を『上野の聖松』としていた。しかし、昭和初期頃に枯れてしまった。

聖松が立っていたのは頂上辺りとだけで詳細な場所は現在では不明。上野山と呼ばれていた頂上には梅野公園があり、当時、湾だった付近には八劒社があり、おそらくその中間にあったと思われる[WEB 22]

東海豪雨時の野並

2000年平成12年)9月11日夜の野並交差点

野並地区での経過[WEB 23]

  • 11日:18:50 - 天白川水防警報(天白・準備)。
  • 11日:19:00 - 住宅地の床上浸水がはじまる。
  • 11日:19:30 - 状況把握のため天白区職員4名が野並地区にむけ出発。
  • 11日:20:00 - 天白ふれあい広場・南天白中野並小若宮商高へ避難所開設 のため職員8名派遣(※ 野並小・若宮商高は浸水のため近づけず)。天白区北沢交差点~平子橋間、野並交差点~野並橋間交通規制。
  • 11日:20:50 - 野並小の無線FAXなど水没。
  • 11日:21:20 - 名古屋市営地下鉄桜通線野並駅鶴里駅が冠水したことにより、桜山~野並間が運休になる。
  • 11日:22:16 - 野並付近(野並交差点北西一帯)において浸水による救助要請多発。舟艇を含む 多数の消防隊を投入。
  • 11日:23:45 - 自衛隊災害派遣要請。
  • 12日:1:07 - 自衛隊による天白川水防活動及び野並学区人命救助開始。
  • 12日:1:30 - 天白ふれあい広場にタオル・毛布、南天白中に毛布等、原小に毛布等を搬送。
  • 12日:1:59 - 浸水により野並ポンプ所のディーゼルエンジンポンプ1台が停止。
  • 12日:3:00 - 県営野並住宅集会所を避難所として開設するため職員2名派遣 (※ 浸水のため近づけず)。
  • 12日:3:41 - さらにディーゼルエンジンポンプ3台が停止。※ 計4台ともが復旧するのは午前10:00になってから。
  • 12日:18:45 - 野並~天白川左岸湛水のため通行止め。
  • 13日:6:30 - 北沢交差点~平子橋間、野並交差点~野並橋間、土木事務所の清掃に伴う交通規制。
  • 13日:14:00 - 古川交差点~中坪交差点、野並小学校北交差点~福池~文化会館、土木事務所の清掃に伴う交通規制。

世帯数と人口

2019年平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

さらに見る 丁目, 世帯数 ...
丁目世帯数人口
野並一丁目 525世帯 1,094人
野並二丁目 733世帯 1,354人
野並三丁目 679世帯 1,339人
野並四丁目 554世帯 1,260人
2,491世帯 5,047人
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人口の変遷

国勢調査による人口および世帯数の推移。

1995年(平成7年)[WEB 24] 1834世帯
4796人

2000年(平成12年)[WEB 25] 1978世帯
4884人

2005年(平成17年)[WEB 26] 2118世帯
4910人

2010年(平成22年)[WEB 27] 2219世帯
4956人

2015年(平成27年)[WEB 28] 2277世帯
4900人

学区

市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 29]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 30]

さらに見る 丁目, 番・番地等 ...
丁目番・番地等小学校中学校高等学校
野並一丁目全域名古屋市立野並小学校名古屋市立南天白中学校尾張学区
野並二丁目全域
野並三丁目全域
野並四丁目全域
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主な施設

About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
750 m
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
略地図
1
名古屋市立野並小学校
2
郷下公園
3
野並郵便局
4
野並交番
5
八劔社
6
焼山公園
7
名古屋銀行野並支店
8
梅野公園
9
天白ゴルフセンター
10
相生山緑地
11
相生山葉書塔
12
徳林寺
13
相生山神社

野並一丁目

野並二丁目

野並三丁目

野並四丁目

大字野並

ギャラリー

交通

名古屋市営地下鉄桜通線 野並駅1番出口付近(2009年平成21年)8月)

交通網の沿革

野並の市街地は名古屋市営地下鉄桜通線 野並駅を中心としている。

  • 1994年(平成6年)3月30日 - 名古屋市営地下鉄桜通線(今池野並)開通。
  • 2011年(平成23年)3月27日 - 名古屋市営地下鉄桜通線(野並徳重)開通。

鉄道

名古屋市営地下鉄

路線バス

名古屋市営バス
  • 野並 停留所
  • 野並二丁目 停留所
  • 北沢 停留所
  • 野並住宅 停留所
  • 大塚 停留所

道路

その他

日本郵便

脚注

参考文献

外部リンク

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