関帝
中国の武将、関羽が神格化されたもの
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信仰の歴史
→「三国志演義の成立史 § 関羽」も参照
関羽への信仰は、唐代の782年(建中3年)、太公望を主神にまつる武成王廟に初めて従神として祭祀されたことに始まる[2]。 明代になると国家祭祀が始まり、北京に武神関羽を祭る白馬廟が建てられた[2]。宋代や元代以降は、小説や戯曲の普及で関羽を知り関羽を敬愛する人々が増え関帝廟参詣者が急増した[2]。清代には関帝の神格が上がり、民間に一層広く普及することになった[2]。
- 神号の追贈
北宋の紹聖3年(1096年)に哲宗の命で荊州の玉泉祠が「顕烈廟」という名にされた。その後、歴代の中国王朝で封号(称号)として爵諡を追贈されていたが、武廟(文廟(孔子廟)の対語、本来は唐の時代に太公望を祭る武成王廟のこと[3])として明の万暦42年(1614年)万暦帝から「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君」、天啓年間に天啓帝による「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」という神号を追贈され、清では北京地安門(北門)外に廟を作り、順治9年(1652年)に順治帝から「忠義神武関聖大帝」、乾隆年間に乾隆帝から「忠義神武霊佑関聖大帝」、嘉慶年間に嘉慶帝から「忠義神武霊佑仁勇関聖大帝」、道光年間に道光帝から「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」という神号が贈られた[3][4]。



