関興
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概要
三国志演義

小説『三国志演義』では弟に関索がいる他、関平は関羽の養子で、関興の義兄となっている。
劉備が荊州の劉表の元に身を寄せると、関羽も同行した。荊州出身の女子を娶った。妻との間に関興と一女を儲けている
父とともに樊城攻めに出陣していたが、戦果を報告するために戦列を離れていたので難を逃れる。劉備が関羽の弔い合戦として呉征伐の軍を挙げる際、その先鋒を張飛の子張苞と武芸比べで争う。勝負は互角であったため、劉備の采配で一年年長の張苞を兄、関興を弟として義兄弟の契りを結ぶ事になる。関羽の弔い合戦では全身に白い鎧をまとって出陣。そこで亡き父の霊に助けられ、父の仇の一人である潘璋を斬り青龍偃月刀を取り返している。呉征伐の終盤、夷陵の戦いにおいては劉備を庇い重傷を負うことになる。しかし以後も蜀の将軍として度重なる北伐に参加し、張苞と同じく武器は父の形見である青龍偃月刀を用い、何度か関羽の霊に助けられつつ活躍する。第4次北伐には病のため参加できず、程なく病没することになっており、諸葛亮はこの訃報を漢中で受け、悲しみのあまり倒れてしまうという描写である。