闖関東
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歴史的な背景
山海関の東、つまり「関東」もしくは「関外」の地(現:中国東北部)は、長城以南と比べて開発が遅れていた。清朝は乾隆5年(1740年)に満洲民族の故地である関外に封禁政策を実施し、外部の者とりわけ漢民族が入れないようにした。以来、モンゴル族、満州族などの少数民族の人口比率が高い、人口希薄な地域となっていた。
19世紀後半になり、ロシアがシベリアからオホーツク海まで進出したのを見て、1860年に関外(現:黒竜江省)に派遣されていた特普欽将軍などが朝廷に献策して開放策に転じ、関内からの移民を奨励した。その結果、直隷(現:河北)や山東から、主に土地が少ない、または定住地のない漢民族の人々が移動し、荒地を開墾して住み着くようになった。