石霊宝と陳氏のあいだの娘として生まれた。はじめ南朝斉の始安王蕭遙光の側室となった。永元元年(499年)、蕭遙光が敗死すると、東昏侯蕭宝巻の後宮に入った。中興元年(501年)、蕭衍が建康を占領すると、蕭衍の後宮に入れられて采女(身分の低い妃嬪)となった。天監7年(508年)8月、蕭繹を生んだ。まもなく修容となった。蕭繹が湘東王として出向すると、令嬴もつき従った。
大同9年(543年)6月、江州の宮殿で死去した。享年は67。11月、江寧県の通望山に葬られた。諡は宣といった。元帝が即位すると、文宣太后と追尊された。