鞍作廃寺

かつて河内国渋川郡加美郷にあった古代仏教寺院 From Wikipedia, the free encyclopedia

鞍作廃寺(くらつくりはいじ、鞍作廃寺跡)は、かつて河内国渋川郡加美郷南鞍作村。現・大阪府大阪市平野区加美鞍作)にある古代仏教寺院跡。本項では、鞍作廃寺の近辺に後世建立された浄土真宗本願寺派の仏教寺院である鞍作寺(あんさくじ)についても述べる。

所在地 河内国渋川郡加美郷
位置 北緯34.62374357度 東経135.56743378度 / 34.62374357; 135.56743378
開基 善信尼
正式名 鞍作寺
概要 鞍作廃寺, 所在地 ...
鞍作廃寺
所在地 河内国渋川郡加美郷
位置 北緯34.62374357度 東経135.56743378度 / 34.62374357; 135.56743378
開基 善信尼
正式名 鞍作寺
文化財 大阪市顕彰史跡
鞍作廃寺の位置(大阪市内)
鞍作廃寺
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歴史

鞍作廃寺

古代加美郷を含む渋川郡周辺は、神別氏族で古代豪族である物部氏の本拠地であった。物部氏は神道を重んじ、仏教をきらう崇神派(毀仏派)であった。しかし衣摺で蘇我氏との間に勃発した丁未の乱で宗家の物部守屋が戦死したことで物部氏は没落することとなり、この戦乱のあと、『四天王寺御手印縁起』によれば物部氏宗家領は没収され、四天王寺の寺領となった[1][2]

その後、加美郷には522年継体天皇16年)に渡日した司馬達等、達等の子の善信尼鞍部多須奈、孫の鞍作止利をはじめとした百済からの渡来系氏族である司馬氏鞍部氏、鞍作氏)が移住した。司馬達等は仏教公伝以前から仏教を信じていて、善信尼は『日本書紀』によると日本最初の尼僧であった[1][2]

善信尼は、達等の娘で俗名を鞍作嶋(くらつくりのしま)といい、敏達天皇13年(584年)に出家し、後に百済へ渡って戒律を学んだ『日本書紀』によると日本最初の留学生尼僧である。この善信尼が現在の鞍作廃寺を建立したと伝わる。

また、達等の子である鞍部多須奈は、用明天皇2年(587年)に天皇の病気平癒を願って仏像と寺院の建立を誓願し、のちに出家して徳斎法師を称した。この誓願によって大和国に建てられたのが坂田寺(現・奈良県明日香村)であり、鞍作廃寺は坂田寺と同じく鞍作氏の氏寺であった。

鞍作氏はもともと馬などの馬具を作る技術者集団であったが、その高度な金工・木工技術を活かして仏像製作などを担うようになった。鞍作止利は、法隆寺金堂の本尊金銅釈迦三尊像や、飛鳥寺の金銅釈迦如来坐像の製作者として知られている。

2011年(平成23年)には、大阪市教育委員会により「鞍作廃寺」として大阪市顕彰史跡に指定された。

鞍作寺

概要 鞍作廃寺, 所在地 ...
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鞍作寺(あんさくじ)は、は大阪府大阪市平野区加美鞍作2丁目に所在する浄土真宗本願寺派の寺院である。安土桃山時代末期の1595年文禄4年)、古代の鞍作廃寺が廃絶した後の跡地に建立された[1][2]

現存する鞍作寺の境内には前述の鞍作廃寺のものと伝わる巨大な礎石が安置されているほか、付近からは7世紀後半のものとされる軒丸瓦(単弁蓮華文軒丸瓦)なども出土している[1][2]

本尊

脚注

関連項目

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