駅逓司
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沿革
鳥羽・伏見の戦い、江戸開城などを経て、関東地方以西をほぼ掌握した新政府が、それまでの臨時政府的な三職体制に代えて新たな官制を定めた政体書に基づいて、七官の一つである会計官が設置された際に、その下に設置された[1]。
翌明治2年には民部省設置とともに移動され[1]、事実上の「大蔵民部省」の一翼を担う。1871年3月1日 (旧暦)(新暦4月20日)、駅逓司の前島密・杉浦譲らによって郵便制度が開始された。
明治4年には民部省が廃止され大蔵省に統合されて、8月に大蔵省駅逓寮に昇格し[2]、1877年1月の寮→局制の移行に伴い、駅逓局と改称。
為替・貯金業務
郵便制度は1875年1月には為替制度(郵便為替)、5月には貯金業務(郵便貯金)を加えてその重要性は高まっていった。なお、幕藩体制の助郷制度の廃止による交通制度の改革も駅逓司の所管であった。
その一方で1874年に大蔵省から分離した内務省、1881年に内務省から分離した農商務省に移管され、1885年に駅逓局そのものが新設の逓信省として独立することになった。