高凝
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経歴
天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高𤁒は新平郡王に封じられた[7][8][9]。天保9年(558年)、安定王に改封された。天保10年(559年)、華山王に封じられた。中書令・斉州刺史を歴任した[1][2][3]。武平元年(570年)7月、太傅の位を加えられた[10][11][12]。後に斉州で死去した。左丞相・太師・録尚書事の位を追贈された[1][2][3]。
高𤁒の妃の王氏は、太子洗馬の王洽の娘であった。王氏は奴婢と姦通していたが、高𤁒はそのことを知っていながらやめさせることができなかった。後に発覚すると、王氏は死を賜り、高𤁒は鞭打ち100回の刑を受けた[1][2][3]。