高安氏 From Wikipedia, the free encyclopedia 高安氏(たかやすし)は、日本の氏族。 高安漢人 河内国高安郡に起こる古き氏なり。河内国高安郡に居りし、漢人を高安漢人といい、 後に高安を冠して、造連、宿禰ら姓を賜ひしが、高安氏の始まり。 高安漢人は大陸よりの帰化人ながら、先祖が中国の後漢の光武皇帝、孝章皇帝の子孫にあたる渡来氏族。 河内国の一郡にあたる高安郡に飛鳥時代667年(天智天皇6年)に天智天皇が標高488メートル高安山のふもとに倭国最後の防衛線のために高安城を築城し、その豪族は高安氏となり今も受け継がれている。 大関・髙安晃の祖父・高安清の出自であり、晃は末裔である[1][2]。 高安村主 前項の一族[3]。 高安造 前項の一族。天平神護2年(766年)10月、河内国大初位下毘登戸東人ら94人に高安造の姓を賜るという[3]。 高安公・高安宿禰 前節の高安氏と同族。元慶3年(879年)、河内国高安郡人、常陸権目常澄宿禰秋雄らに高安宿禰の姓を賜るという[3]。 紀姓高安氏 本姓は紀氏。家系は紀長谷雄を祖とし、河内国に起こり、常陸国に多く一族存するという。その家系は以下の通り[4]。 系譜 大納言長谷雄―左衛門佐致雄―忠行―忠納言貞雄―河内守雄致(高安庄司―八郎貞致―八郎貞行―貞直―八郎貞之―八郎貞仲―某―左近衛将監―伊予守―八郎貞勝―九郎貞行 常陸国の高安氏 常陸国の佐竹氏の家臣に本姓を紀氏とする高安氏あり[5]。 また、幕末維新期の志士・義民にも高安姓の人物が見える。 高安忠七 常陸国那珂郡田谷村の百姓。天狗党の乱に加わり、青柳村で砲創を負い帰宅したところを捕えられ、慶応3年(1867年)10月1日、獄死する。享年47。靖国神社合祀[6]。 脚注 [脚注の使い方] [1]新大関・高安 稀勢の十両昇進が転機 父とアポなしで鳴戸部屋へ スポーツニッポン 2017年5月29日 [2] 【大相撲徳俵】大関高安、姓にルーツある大阪で活躍誓う 横綱になってもしこ名変えず 産経新聞 2019年3月9日 [3]太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)3351頁参照。 [4]太田亮前掲書(角川書店、1934年)3352頁参照。 [5]常陸太田市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、1982年)280頁参照。 [6]明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)435頁参照。 参考文献 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)ISBN 4404013353 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年) 常陸太田市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、1982年) 関連項目 紀氏 益子氏 高安郡 外部リンク 秋田県公文書館『系図目録I』 (PDF) Related Articles